新しく義とされた存在 | 御言葉の実在

2025年10月9日(木) 新しく義とされた存在 A New, Justified Being 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17) 私たちが「イエスが全世界の罪人のための代価を支払った」と言う時、これは一般的な意味での表現だと理解すべきです。この言葉にクリスチャンは含まれません。なぜならクリスチャンは罪人の中に含まれないからです。クリスチャンは別の種族の存在で、この世のものではありません。彼らはイエス・キリストの死と埋葬と復活を通して新しい命に入ったのです。 イエス・キリストを信じ、その主権を認めた時、あなたは新しく創造されたのです。新しい命をもって生まれ変わったのです。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4)これがキリスト教の本質です。あなたは復活から生まれた新しい被造物であり、新しい命を持って歩む者なのです。 その結果、あなたは義と認められた者として歩みます。義と認められるとは、どういう意味でしょうか?それは無罪と宣告されたものであり、すなわち免罪されることを意味します。罪ある者はキリストと共に十字架で死にました。そしてイエスが復活された時、新しいあなたが生き返ったのです。この新しいあなたは、義と真の聖さをもって創造されたのです。 ローマ4章25節は主イエスについて「…私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」と記しています。神に栄光をささげます!あなたが義と認められるのは、あなたが新しく造られた者だからです。これが、私たちが緊急に福音を宣べ伝える理由です。私たちは世界中の人々がキリストのもとに入り、新しく造られた者となることを願っているのです。私たちは、彼らが義と認められたことを知り、キリストにおいて過去がない、新しい種族であることを知ってほしいのです。 ヤコブ1章18節はこう言います。「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。」ここで「いわば被造物の初穂 」の表現に注目してください。あなたは異なる種族、神性の性質を持つ存在であり、聖別され、栄光に輝き、義と認められた者なのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、キリストにある新しい命に感謝します。私は義とされ、神に生きている新しい被造物です。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなりました。私は神性の性質を自覚して歩み、行く先々で神の栄光と義を現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ 4:23-25) しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 (使徒13:38-39) ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。 (1 ペテロ 1:23) あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 Source link

御霊によって見る | 御言葉の実在

2025年10月8日(水) 御霊によって見る See By The Spirit 「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」(黙示録4:1) 人生において、あなたが見るものが生き方を決めるのです。ですから霊的に見ることは重要なことです。御霊によって見るのです。御霊による見方とは、御言葉を通して見ることであり、信仰の目で見ることです。多くの人々が恐れや不安に支配されているのは、谷底から物事を見ているからです。人間的、あるいは地上の視点で物事を見ているのです。 しかし聖霊を通して御言葉で見る時、あなたは癒されようとする病人も、金持ちになろうとする貧しい人でもないことに気づくのです。あなたは敗北者として勝利を得ようとする者でもありません。むしろ、あなたは神の栄光であり、キリスト・イエスにおける勝利者であり、神性の卓越性の完全な現れです。ハレルヤ! 神の言葉は霊的な高みへとあなたを導きます。それはあなたの視点と視野を日常的なものから引き上げ、神の視点から物事を見させてくれるのです。ヨハネが体験したのはまさにこれでした。彼は「ここに上って来なさい。」という声を聞き、そうしたとき、霊において神聖な現実を見るために移されたのです。 神は私たちを啓示によって機能するよう召されました。私たちは目に見えるものではなく、信仰によって歩むのです。そして信仰とは御言葉によって生きることで、衝動や感覚的知覚ではなく神の言葉に基づいて行動することです。それが制限を超えて生きる方法です。あなたが世に先んじる方法です。あなたが状況を支配し、敵と逆境に打ち勝つ方法です。 あなたは癒しの見込みのない恐ろしい病と診断されたかもしれません。しかし、御言葉を通して自らを見れば、その病や疾患は幻影だと気づくことでしょう。あなたはキリストにおいて完全で、完璧で、健全であるのです。あなたは神の美しい完全なる現れです。これが真実なのです。 ヨハネ8章32節で主はこう言われました。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」キリスト・イエスにおいて、あなたは健康、繁栄、勝利という優位な立場にいます。だからこそ、御言葉の中で自らを成長させなければならないのです。意識的に御言葉の知識を増し加えてください。聖書はこう言います。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」 (ペテロ3:18) 告白 私は絶えず御言葉によって変革され、栄光と勝利に満ちた高き命へと位置づけられています。父なる神の御心を行い、キリストにおける私の運命を全うするための力、勇気、信仰、知恵に満たされています。御言葉に自らを委ね、霊感を受け、教えられ、教育され、訓練されるにつれ、私は神の健康、卓越性、支配の中を歩みます。神に栄光がありますように! 参照聖書 (創世記13:14-15) ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 (2コリント4:18) 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 (2ペテロ1:3)というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 Source link

御霊による祈りで 効果的に祈る | 御言葉の実在

2025年10月7日(火) 御霊による祈りで 効果的に祈る Pray Effectively By Praying In The Spirit 「 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」(1コリント14:14-15) 御霊による祈りは、クリスチャンが効果的に祈るための主要な方法です。神はあなたが実りある人生を送ることを望んでおられます。ですから、祈りが神との交わりである以上、効果的な祈り方を知ることは重要です。冒頭の聖句からも分かるように、神と真に交わり、実りを得る最も効果的な方法は、御霊による祈りなのです。 冒頭の聖句で使徒パウロは、御霊による祈り(または御霊の中で祈ること)と理解による祈りを区別しています。御霊による祈りとは異言(御霊による異言)で祈ることです。理解による祈りとは、自分の理解できる言語を用いて、思考により祈ることです。しかし、御霊による祈りは自分の理解による祈りよりも優先されます。 エペソ6章18節はこう言います。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」これは示唆に富むと同時に教訓的なものです。あなたは常に御霊によって祈るべきなのです。これは効果的に祈る確実な方法の一つです。ヤコブ5章18節(AMPC)はこう言います。「正しい人の真剣な[心からの、絶えない]祈りには非常な力が与えられるのです。[力強い働きをします。]」 義人とは、イエス・キリストの義によって新しく生まれた者、すなわちあなた自身のことです。ですから、あなたが祈るとき、脅威の結果をもたらす驚くべき力が解き放たれるのです。しかし、多くの人はこれを経験していません。彼らの祈りが効果的でないのは、異言で祈っていないからです。 間違いなく、異言で祈るとき、それは多くの力を生み出し、悪の働きや勢力を制圧するほか、超越的な益をもたらします。その結果は、あなたの家庭、職場、都市、国、そして世界中で明らかになるでしょう。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、御霊による祈りの祝福に感謝します。異言で祈るとき、悪の勢力は制圧され、御心は地上で、そしてあらゆる人々の生活の中で成し遂げられます。私の人生が絶えず主の完全なご計画に一致します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ユダ1:20) しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、 (1コリント 14:2) 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。 (ローマ 8:26-27 ) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。 Source link

神の目的においてのパートナー | 御言葉の実在

2025年10月6日(月) 神の目的においてのパートナー Partners In Divine Purpose 「 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(1コリント3:9) 霊的な成熟と神の知恵に歩む要素の一つは、魂の救いを含むあらゆる事において神の目的と一致することです。あなたが地上の神の計画において神のパートナー、すなわち共同労働者であることを認識することです。あなたがキリストの元に導かれたのは、単に罪の咎から逃れるためではなく、神聖な運命を成就し、他の人々を王国へ導くことに主と協力するためでした。 福音の奉仕者、キリストの奥義の管理者としての召命に目覚めてください。「 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました …」(2コリント3:5-6)1コリント4章1節から2節にはこう記されています。「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。」和解の奉仕において実り豊かで生産的でありなさい。 マルコの福音書16章15節で、主は既にこう言われました。「…全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」ですから、「主よ、私に何をなさいますか?」と尋ねる必要はありません。命令は明確です。第2コリント人への手紙5:18はこう言います。「すべてのものは神から出たものです。神はイエス・キリストによって私たちをご自身と和解させ、和解の奉仕を私たちに与えてくださいました。」 王国の優先順位をもって行動してください。日々、魂を救い、王国の進展に資源を捧げてください。まだ主を知らない者たちのために熱心に執り成してください。主の情熱を受け取ってください。聖書はこう記しています。「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ 3:9) 第2コリント5章14節から15節にはこう記されています。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」 主のために生きるということは、神の目的のために生きることを意味します。それは、主の望みに合わせて鼓動する心、主の計画に仕える手、主の道に歩む足を意味するのです。 祈り 愛する父よ、私を主のぶどう畑で共に働く者としてくださり感謝します。私は、主の知恵に歩み、私の人生における主の目的を果たし、主のビジョンに調和し、主の召しに献身し、主の御心すべてにおいて実を結ぶ者となります。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2コリント5:18-20) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 (1コリント3:9 ) 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。 (ヨハネ20:21) イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 Source link

御言葉は義のために私たちを訓練する | 御言葉の実在

2025年10月5日(日) 御言葉は義のために私たちを訓練する The Word Trains Us In Righteousness 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(2テモテ3:16) 効果的なクリスチャン生活は偶然に得られるものではなく、霊的な訓練、御言葉による義の訓練の結果です。御言葉は日々勝利へ導くようあなたの人生を整えます。聖書が与えられたのは、単に情報を与えるためではなく、あなたの人格を形成し、思考を整え、人生を築き、神の御業を見分ける霊を訓練するためです。 御言葉に浸る時、あなたは神のように考え、神のように判断し、神のように応答するようになります。感情や状況に左右されなくなるのです。なぜなら、あなたの決断は神の真理によって形作られるからです。神の言葉は、私たちに啓示された神の思い、見解、性質、人格、御心、感情そのものだからです。 主イエスについて考えてみてください。主は感覚や圧力、感情に基づいて状況に対応されたのではありません。主の言葉と行動は、主の神性の現れでした。主は真理を語り、真理を現されました。主には不足や欠乏の感覚はなく、制限の感覚もありませんでした。主イエスは神のように考え、神のように語り、神のように行動されました。主イエスは神の言葉の現れであり、御言葉が人となった方なのです。 さて、ご存知でしょうか?主がそうであるように、あなたもこの世において同じなのです。(1ヨハネ4:17)あなたは御言葉によって新しく生まれました。(1ペテロ1:23、ヤコブ1:18)そして、あなたには御言葉の命が宿っているのですから、御言葉によって成長し、訓練されなければなりません。御言葉を軽んじてはいけません。御言葉を学ぶたびに、それは変革され、御言葉の力を受け継ぎ、義に確立される機会なのです。 神の言葉は、あなたの霊的成長と発展、そして絶え間ない勝利と成功に満ちたバランスの取れた人生に必要なものです。使徒の働き20章32節はこう言います。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 御言葉はあなたを築き上げることができるのです。なぜなら、あなたは御言葉という朽ちることのない種から生まれたからです。御言葉はあなたの人生の取扱説明書であり、神の神聖な目的を果たすための指針なのです。 告白 私は御言葉によって訓練され、義に導かれ、あらゆる善いわざに備えられています。私は神の洞察力と正確さをもって働きます。私の人生は神の知恵と卓越性の反映であり、私を通して他の人々は神の完全な御心と一致していきます。神の言葉は私の中で働き、私の中で、また私を通して、そのメッセージの結果を生み出します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2テモテ3:15-17) また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 (1ペテロ1:23) あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 (使徒20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 Source link

御言葉なしには土台はない | 御言葉の実在

2025年10月4日(土) 御言葉なしには土台はない No Foundation Without The Word 「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。」(ルカ6:47-48) 困難な状況に直面した時、一部のクリスチャンは御言葉を無視します。例えば、彼らが問題を抱えている時に、あなたが彼らの意識を御言葉に向けさせようとすると、「御言葉がそう言っているのは分かっているけど…」と言うでしょう。彼らは間接的に御言葉を脇に置くよう求め、別の解決策を望んでいるのです。 こうした行為は、神からの助けを拒み、抵抗していることになります。聖霊は御言葉なしには何事もなさりません。神の御言葉なしに起こることはすべて基盤がなく、必ず失敗します。冒頭の聖句で、主イエスが語られたことを思い出しましょう。砂の上に家を建てた者と岩の上に家を建てた者のたとえを語られました。人生の危機が訪れた時、砂の上に建てた家は崩れましたが、岩の上に建てた家は揺るぎませんでした。 そして主は、岩の上に家を建てた者は御言葉の上に建てた者であり、御言葉を土台とした者だと説明されました。御言葉の上に人生を築けば、それは花開き、人生の危機に耐え抜けます。何が起ころうとも、常に勝利し支配するのです。しかし御言葉がなければ、持っているものはすべて空虚です。 奉仕においても、御霊の賜物や現れの上にあなたの働きを置いてはならないのです。御言葉の上に築いてください。御言葉を焦点とし、支えとし、錨としてください。御言葉を宣べ伝えてください。御言葉を信じてください。御言葉を教え、御言葉に従って生きてください。あなたの人生とメッセージを真理の上に築いてください。御言葉は真理です。(ヨハネ17:17) さらに、御言葉の上に築くとは、単なる聖句の一節を指すのではなく、神の「ロゴス」(ギリシャ語)、すなわち真理の全体、福音を通して聖書に現されたイエス・キリストの啓示を指します。それはイエス・キリストの福音、すなわち、キリストが誰であり、何のために来られたのか、についてです。その使命と一致するものです。それをあなたの人生の土台としてください。 告白 愛する父よ、私は御言葉の中に、御言葉によって生きています。それゆえ、私は揺るがず、堅固であり、常に勝利者です。なぜなら、私の人生は主の真理の上に築かれているからです。真理は私の土台であり錨であり、私の行うすべてのことに最優先されるものです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (コロサイ2:6-7) あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。 (マタイ 7:24-25) だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。 (使徒 20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 Source link

神の知恵を運ぶ者たち | 御言葉の実在

2025年10月3日(金) 神の知恵を運ぶ者たち Carriers Of Divine Wisdom 「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカ1:17) 聖書は、洗礼者ヨハネが主の道を整えるために、エリヤの霊と力を持って来たことを宣言しています。しかし、彼の使命が具体的に何を意味していたかに注目してください。逆らう者を義人の心に立ち戻らせるためでした。これは深遠な霊的実在であり、私たち義人に属する知恵があることを告げています。 それは、人々が主と共に歩み、主を喜ばせるために備える知恵です。目的を見極め、自然の現象を超越して見通し、神の御言葉と神聖な運命に沿って行動する知恵です。この知恵は学問的なものではありません。知的な鋭さや哲学的な深みについてでもありません。神の御霊によって授けられる霊的な卓越性なのです。 不従順な者が義人の知恵へと導かれると、彼らは神の御心と目的に沿う知識と導きを受け取ります。ゆえに、ヨハネのように私たちにも特別な召しが与えられているのです。神から委ねられた使命は、不従順な者を義人の知恵へと回心させることです。福音宣教と人々をキリストへ導く行為こそが、この使命の現れであるのです。 この知恵こそが人を悔い改めに導き、優先順位を再構築し、天の計画と調和させるのです。これが今日、神の御霊が私たちを通して行っていることです。御霊は人を暗闇から光へ、混乱から明晰へ、反抗から畏敬と従順に回心させるのです。私たちは神性の知恵の運び手であり、主のために備えられた民を主のもとに整える知恵を運ぶ者なのです。この知恵が私たちの思考を支配し、選択を導き、行動を推進するのです。 祈り 愛する父よ、私の内に働く聖霊の御業と、私を通して現される知恵に感謝します。その知恵によって、不従順な者たちが暗闇から光へと立ち返り、キリストの再臨に備えられます。主の知恵が私の思考を支配し、選択を導き、行動を推進します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言 4:7) 知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。 (ヤコブ 3:17) しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。 (1コリント2:6-7) しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。 Source link

御言葉に従う | 御言葉の実在

2025年10月2日(木) 御言葉に従う Yielding To The Word 「 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(2テモテ3:15) 神の言葉は、私たちを救いへと導く知恵を与えます。これは単に永遠の命を受けることだけではなく、霊的な事柄において成熟し、自分の相続分の中を歩み、キリストの命を効果的に生きる方法を理解することです。神を愛しながらも、人生で苦闘し続けるクリスチャンがいます。彼らは自分の生活を律するために神の言葉に従っていないからです。彼らは御言葉が自分の心を整え、思考を一新し、人格を再形成することを許していないのです。 ローマ12章2節はこう言います。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」 神の御言葉に自分を服従させる時、あなたの人生には栄光から栄光へと続く変革が起こります。ですから、「救いを受けたからそれで十分」と言うだけでは不十分です。キリストにあって勝利の人生を歩むためには、御言葉に継続的に従わなければなりません。 ヨシュア記1章8節はこう言います。「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」聖書を思い巡らすとき、あなたの人生のすべてが花開くのです。御霊はあなたの霊に理解力を与え、キリストにあるあなたの相続分を見抜き、把握させてくださいます。 神の望みは、御言葉がすべての知恵と霊的な理解をもって、豊かにあなたがたのうちに住むことです。(コロサイ3:16)神はあなたが御言葉のうちに、御言葉によって生きることを望んでおられます。マタイ4章4節では、こう言われました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」これがこの世のシステムを越えて生きる方法です。祝福と勝利と成功への道は、御言葉を行うことにあります。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。…ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ1:22-25) 祈り 愛する父よ、主の御言葉は私に救いへの知恵を与えてくださいました。私は支配するために訓練され、成功するために備えられ、主の義を現すために整えられています。私は霊的な知性をもって歩み、神聖な結果を生み出します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (詩篇 119:98-100) あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 (ヤコブ1:22-25) また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。 Source link

信仰:御霊の法則 | 御言葉の実在

2025年10月1日(水) 信仰:御霊の法則 Faith—A Law Of The Spirit 「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(へブル11:6) 聖書は、信仰なしには神を喜ばせることは不可能だと述べています。誰かがこう尋ねるかもしれません。「なぜ信仰が必要なのでしょうか?私たちが信仰を働かせなくても、神は私たちのために物事を成し遂げてくださらないのでしょうか?」答えはNOです。なぜなら、信仰は神の王国における霊的な法則だからです。重力の法則が物理世界における運動や慣性を支配するように、信仰は霊的な領域における私たちの活動を支配するのです。 今あなたが椅子に座っているのは、万物を地球の中心へと引き寄せる目に見えない力である重力の法則があるからです。それがなければ、あなたは制御不能に空中に浮いてしまうでしょう。霊の世界においても、信仰の法則は同様に働いています。 ローマ3章27節は、この信仰の法則について語っています。「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。」信仰とは目に見えないものを信じることです。感覚では捉えられない領域から受け取り、霊的な 実在を物理的な実在に変えることです。信仰は状況を超えて生きることを可能にします。地球はより広大な霊的領域の中に存在しています。小さいものは大きいものに含まれているのです。 たとえ周囲に御使いが見えなくとも、彼らは常に存在し、私たちのために働き、益をもたらしているのです。しかし、彼らの霊的実在を認識するには信仰が必要です。神の健康と癒しも霊的領域から来るものです。神はすでにあなたに神性の健康を与えているのです。それは永遠の命の産物です。しかし、自然的な思考から信仰による霊的理解へ転換するまで、その健康はあなたの経験とはならないのです。だから、信仰をもって歩みなさい。霊の目で見なさい。真理の領域から語りなさい。信仰の法則によって生きてください。 祈り 愛する父よ、私が主の力と祝福の中で生き、歩む信仰の法則に感謝します。私は御言葉と霊的実在の自覚の中に生きています。私は健康、力、豊かさ、勝利、支配の中を歩み、御霊に満たされています。私の人生はただ上向きに、前へと進むのみです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ3:27 ) それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。 (ヘブル10:38) わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」 (マルコ11:22-24) イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 Source link

あなたの内のキリストは栄光の成就を意味する | 御言葉の実在

2025年9月30日(火)あなたの内のキリストは栄光の成就を意味するChrist In You Means Glory Fulfilled 「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27) 新約聖書の最大の啓示は、イエス・キリストが私たちのために死んだことだけではありません。イエスが復活し、今や私たちの内に生きているということです。これは、世々にわたって隠されていた奥義ですが、今や明らかにされました。その奥義とは、あなたの内のキリスト、栄光の望みです。あなたの内におられるキリスト、栄光の望みとは、栄光が実現されたり、成就されたりしたことを意味します。それは約束ではなく、現在の実在です。 「神は偉大であり、その栄光を誰とも分かち合うことはないでしょう」と言う人々がいます。その通りです!神は偉大であり、異教の神々とその栄光を分かち合うことはありません。しかし神は、私たちに栄光を分かち合うだけでなく、私たちに栄光そのものを与えてくださいました。「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」(ヨハネ17:22) あなたがキリストを受け入れた時、栄光を受けました。あなたの生涯には栄光があり、恥も非難もありません。あなたは神の可能性、卓越性、勝利の領域に導かれたのです。栄光は今、あなたの生涯、あなたの本質、あなたの環境です。聖書は言います。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)それはキリストが来られる前のことでした。キリストがあなたの内におられるということは、あなたが今、神の臨在、力、義の運び手であるということです。あなたは栄光にアクセスしようとしているのではありません。あなたはその栄光の中で生きているのです。 この真理が、あなたの思考、言葉、生活、そして自己認識を変えるべきです。あなたは普通な存在ではありません。あなたは神を運ぶ者です。あなたは神性の移動基地です。あなたの体は聖霊の神殿です。あなたがどこへ行っても、キリストはあなたの内に、あなたと共に、そしてあなたを通して現れます。これが、あなたが決して不利な立場に立たない理由です。全世界を創造した方が、その栄光の満ち溢れた状態であなたの内に住まわれているからです。 さらに、あなたは神の栄光であることを知っていますか?あなたの名前は神の栄光です。これは理解しやすいことです。なぜなら、あなたの天の父はエペソ1章17節で「栄光の父」と描かれているからです。もしスミス氏が「ジョンの父」と紹介されたら、それは彼がジョンという息子を持っていることを意味します。キリストにおいてあなたは栄光となったのです。あなたの栄光の人生は始まっています。栄光の中に自分を見てください。栄光の中を歩む自分を見てください。神の栄光としての自分を見てください。ハレルヤ! 祈り愛する父よ、私を主の栄光の輝き、義の表現、恵みの分かち合う者にしてくださったことを感謝します。私の生涯を、主の美しさ、存在、力、そして卓越性の現れとしてくださったことを感謝します。私は自分を主の栄光として見、栄光の人生を生きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(コロサイ1:26-27) これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 (ローマ8:30) 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。 (2コリント4:7) 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 (ローマ8:10-11 ESV) しかし、キリストがあなたがたのうちにいれば、罪のゆえに体は死んでいるとしても、義のゆえに霊は命です。 もし、イエスを死からよみがえらせた方の霊があなたがたのうちに宿っているなら、イエス・キリストを死からよみがえらせた方が、あなたがたの朽ちるべき体を、あなたがたのうちに宿っているその霊によって命を与えるでしょう。