あらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けた | 御言葉の実在

2025年12月8日(月) あらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けた Predestinated, Called, Justified And Glorified 「 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30) 今読んだことに注目してほしいと思います。私たちはあらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を与えられました。あらかじめ定められたとは何でしょうか?キリストにあってあらかじめ定められている者とは誰でしょうか?この定めは、福音を通してなされるものです。つまり、福音を聞く者は皆、福音を聞くためにあらかじめ定められていたのです。 召しは福音の中にあるのです。その召を受け入れるなら勝利するのです。神があらかじめ定められた者たちを召されたからです。だからこそ、神は私たちに「すべての国々、すべてのつくられたものに福音を宣べ伝えよ」と命じられたのです。信じて洗礼を受ける人は救われるのです。しかし、信じない者は滅びます。(マルコ16:15-16) しかし、ローマ8章1節で聖書は「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」とあります。なぜでしょうか?彼らは義と認められたからです。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)義と認められるとは何でしょうか?それは無罪判決、つまり罪がないと宣言されることを意味します。 ですから、神の御前では、あなたは主イエスの御名と、神の御霊によって、洗われ、聖別され、義と認められています。(1コリント6:11)キリスト・イエスにあって福音を通して、あなたはあらかじめ定められ、召され、義と認められました。しかし、それだけではありません。あなたはまた栄光を与えられたのです。「…義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」ハレルヤ! あなたの人生は神聖の栄光に満たされ、美しく飾られています。主イエスはヨハネ17章22節で「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。…」と言われました。聖書が「私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。」(1ヨハネ4:17)と言うのも当然です。あなたはイエスのように、父なる神の栄光の輝きとなったのです。 このことを知ったなら、なぜあなたが病気で苦しむ必要があるのですか?貧しさ、弱さ、無知なことを拒絶してください。常にこう宣言してください。「私は栄光を受けました。ゆえに、私の体に病気や患いを許しません。キリストは私の内で大いなる方とされ、栄光を受けました。」ハレルヤ!これがあなたの自覚であるべきです。あなたはあらかじめ定められた者、召された者、義と認められた者、栄光を受けた者なのです!神に栄光をささげます! 祈り 義なる父よ、私の人生における神の永遠の計画に対する啓示に感謝します。私は召命の光の中を歩みます。私はあらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けています!この世の何ものも、主の内にある私の運命を揺るがすことはできないと知り、私は大胆さと確信をもって生きています。私はあらかじめ定められた道を歩み、神聖の卓越性をもって機能し、日々主の完全な御心を成し遂げます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (エペソ1:11) 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。 (2テモテ1:9) 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、 (ローマ8:30 AMPC) 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め[罪の責めから解放されたと宣言されました]、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました[天の尊厳へと高められました]。 Source link

揺るがず、喜びを持って主に仕える | 御言葉の実在

2025年12月7日(日) 揺るがず、喜びを持って主に仕える Serve The Lord Steadfastly And With Joy 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。」(1コリント15:58) クリスチャンの人生は遊びではありません。それは真剣なものであり、霊的な原則に基づいています。私たちが実際に生きているのは霊的な歩みなのです。教会の携挙は今日、かつてないほど近づいています。ですから、毎日、純粋な心を奮い立たせ、自らを吟味し、クリスチャンとしての人生が御言葉にかなっていることを確かめなければなりません。 御言葉に集中し続けてください。聖書はこう言っています。「…これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。」(ヨシュア記1:7)御言葉があなたの思考と霊、思いと意見を支配するようにしてください。聖書はこう言っています。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)暗い路地を歩く時、あなたは道を照らすためにともしびを使います。それが御言葉です。それはあなたに命の道を示し、義の道に留まらせてくれます。 2テサロニケ2章3節は警告します。「…まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」そしてマタイ24章12節で主は言われました。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」だから、主への愛を熱く保ってください。あなたの霊的なものへの信仰と熱意を、何ものにも散らされてはいけません。 主を真に愛し、正しく仕える者と、そうでない者との間には違いが生じねばなりません。自らを顧みてください。心を見張ってください。あなたの霊を守ってください。愛のうちを歩んでください。主は、ヨハネ13章35節でこう言われたからです。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」 クリスチャンの人生は旅路です。毎日が愛のうちに歩む新たな日なのです。毎日が喜びをもって主に仕える新鮮な日です。主が光の中におられるように、毎日が光の中を歩む新たな日なのです。(1ヨハネ1:7)毎日が義の実を結び、義のわざを現す新たな日です。だから、揺るがずに、主に喜びをもって仕えることで、毎日を意味あるものとしてください。 祈り 愛する父よ、主を知り、仕える栄誉と、主の御名によって呼ばれる特権と祝福に感謝します。私は揺るがず、熱心に、動じることなく、常に主の御業にあふれています。私が情熱と目的をもって喜びの心で主に仕えるほど、主への愛はますます深まります。私は終わりのこの時代に、主の栄光を現し、主の義を明らかにしながら、私はますます輝き続けます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヘブル12:1-2) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 (ヘブル6:10-12) 神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。 (ガラテヤ6:9) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。 Source link

福音にあなたの情熱を置く | 御言葉の実在

2025年12月6日(土) 福音にあなたの情熱を置く Let The Gospel Be Your Passion 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16) イエス・キリストの福音は、救い、癒し、解放、そして人生を変革する神の力です。だからこそ、このメッセージはあなたが理解し、実践し、特に主の来臨がかつてないほど近づいている今、情熱を燃やして他の人々と分かち合うべきものなのです。 使徒パウロは、福音を恥じないと宣言しました。この言葉は深い確信と揺るぎない献身から生まれたものです。彼にとって福音宣教は選択事項ではなく、人生そのものでした。彼は福音のために生き、その進展のために死をも厭(いと)いませんでした。 使徒の働き20章22節から27節にある彼の感動的で心を揺さぶる言葉をお読みください。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」 今日の世界では迫害が多く、福音への大胆な証しはしばしば批判や無関心、深刻な脅威に直面します。しかし、それを乗り越えなければならないのです。拒絶や死への恐れが、あなたの声を沈黙させてはいけません。安楽があなたを怠惰にさせてはならないのです。世界はイエスを必要としており、あなたの人生を変えた同じ福音が彼らの唯一の希望なのです。 福音があなたの思い、言葉、追求するものを支配するようにしてください。魂を勝ち取り、天国を人で満たすことをあなたの願望としてください。それが真に重要なことなのです。福音を分かち合うたびに、あなたは神の力を解き放ち、聞き手の人生に影響を与え、変革するのです。たとえ、あなたが語る間、聞いていないふりをしたり、メッセージに反抗的に振る舞ったりする者でさえ、御言葉が彼らの心に蒔かれるにつれて、いつの日かその力に屈するでしょう。ですから、臆することなく福音を宣べ伝えてください。あなたが手を差し伸べるすべての魂は、永遠の勝利なのです。 祈り 尊き父よ、福音を私にお任せくださり感謝します。御霊の力と支配のもとで福音を大胆かつ熱心に宣べ伝える勇気を与えてくださり感謝します。私はあらゆる機会を捉え、主の愛と真理を他の人々と分かち合い、救いの力という良き知らせによって彼らの人生を変革します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (マルコ16:15) それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 (2テモテ4:2) みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 (1コリント9:16) というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 Source link

あなたはこのために生まれた | 御言葉の実在

2025年12月5日(金) あなたはこのために生まれた You Were Born For This 「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記4:14NIV) 今、冒頭で読んだ聖句は、モルデカイがハマンのユダヤ人を絶滅という凶悪(きょうあく)で狡猾な計画に立ち向かうようエステルに挑んだ時の言葉の一部です。エステルは、モルデカイが彼女の目を開かせるまで、自分が神聖の計画の一部であることを知りませんでした。彼女が王妃としての地位は安楽のためではなく、ある目的のためでした。あなたにも同じことが言えます。 あなたの人生に偶然などありません。運命があなたの内で働いているのです。あなたの誕生、置かれた環境、そして神の王国における使命は、すべて神聖によって計画されたものです。あなたはこのような時のために生まれ、神の栄光のためにあなたの世界に影響を与え、変革をもたらすよう、神によって戦略的に配置されているのです。 神は、あなたを家族の中、職場、都市、国家の中に、魂を救う者、王国の大使として置かれました。あなたの教育、才能、資源、性格など、あなたに関するものは王国のために用いられるよう与えられています。必要な時に、声を上げることをためらわないでください。福音のために声を上げ、立場を明らかにし、信仰の中で前進すべき時に、恐れから退いてはいけません。キリストに生き、あなたの人生における神の目的を全うしてください。 2コリント5章15節はこう言います。「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」キリストの救いの良き知らせを熱心に広めることを、何ものにも妨げられたり、阻まれたりしてはいけません。それがこの地におけるあなたの第一の使命です。「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(2コリント5:18) 最も重要な時と場所で、あなたの光を輝かせてください。エステルのように「死ななければならないのでしたら、死にます。」と大胆に宣言してください。何故なら、主のために生き、主の御心と目的を果たすことは、何よりも価値があるからです。あなたはこれのために訓練され、召されたのです。今こそ行動し、パウロのように宣言する時です。「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒の働き20:24) 祈り 愛する父よ、このような時のために私を選び、備えてくださったことを感謝します。私は大胆に、準備を整え、喜んで、神の目的を果たします。私の光が明るく輝き、行く先々で王国のために永続的な影響を与えることを宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (エステル4:13-16) モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」エステルはモルデカイに返事を送って言った。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」 (2テモテ1:8-9) ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、 (使徒20:22-24) いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 Source link

御霊と御言葉によって生きる | 御言葉の実在

2025年12月4日(木) 御霊と御言葉によって生きる Living By The Spirit And By The Word 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13) キリスト教とは、御霊と神の御言葉によって生きることです。あなたの命は神の御言葉から生まれました。全宇宙は神の御言葉によって創造されました。神はご自分の言葉によって、世界を創造されました。ヨハネ1章1節から3節にはこうあります。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 神が、神の言葉に人格を与えていることに注目してください。すべてのものは、神の言葉であるイエスによって造られ、主なしには造られたものの一つも造られなかったのです。神は力の御言葉によってすべてのものを支え、その位置に保っておられます。(ヘブル1:3)この同じ御言葉こそ、ヨハネが「人となって私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)と語る方なのです。 主イエスは受肉した御言葉、生ける御言葉です。主が地を歩まれたとき、人間の体に宿っておられた神の言葉でした。さて、あなたも同じであることをご存知でしょうか?新生したあなたは、御言葉によって生まれ、御言葉の命を持っています。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(1ペテロ1:23) したがって、あなたは自分の血によって生きるのではなく、神の御霊と御言葉によって生きていることを意味します。イエスはこう言われました。「…『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4)また、それゆえに、「…たとい毒を飲んでも決して害を受けず、」とも言われたのです。あなたの命は血からではなく、御言葉から来たのです。冒頭の聖句をもう一度読み返してください。 また、ローマ8章11節はこう言います。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」これがキリスト・イエスにおけるあなたの実在です。神の御霊があなたの肉体を生かし、活力を与え、命を与えたのです。神性があなたの内に宿ったのです。 あなたは命と不滅へと招かれ、真理の言葉によって生まれました。(ヤコブ1:18)だからこそ、私たちは、キリスト教は宗教ではないと言うのです。キリスト教は御言葉による、御言葉を通しての、御言葉による命であり、御霊によるものです。キリスト教は、神の天の子らがこの地上で生きる超自然的な歩みなのです。ハレルヤ! 祈り 祝福された父よ、私を御言葉の生ける表現として造ってくださり感謝します。私は御霊によって機能し、神聖なる起源の現実の中を歩みます。私の人生は御言葉によって導かれ、御力によって支えられ、御臨在の栄光に満たされています。私は健康と知恵と力に満ち、あらゆる場所で超自然的な命を示します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ 1:12-14 NIV) しかし、イエスを受け入れたすべての人、イエスの御名を信じる人々に、神の子どもになる権利、つまり自然な子孫から生まれた子ども、人間の決定や夫の意志から生まれた子どもではなく、神から生まれた子どもを与えました。 みことばは肉となり、私たちの中に住まわれました。私たちは神の栄光、父から来られた独り子の栄光、恵みと真理に満ちているのを見てきました。 (ローマ 8:10-11 ESV) 10 しかし、キリストがあなたがたのうちにおられるなら、罪のためにからだは死んでいても、義のために霊は生きています。11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方が、あなたがたの朽ちるべきからだをも、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、いのちを与えてくださいます。 (ルカ 4:4) イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 Source link

神の恵みの福音 | 御言葉の実在

2025年12月3日(水) 神の恵みの福音 The Gospel Of The Grace Of God 「…神の恵みの福音をあかしする」(使徒の働き20:24) 神をほめたたえます!イエス・キリストの福音は宗教的なメッセージではありません。神の恵みの良き知らせです。それは神の人類への愛、好意、慈しみの宣言です。パウロは自身の全奉仕を、一つの中心的なメッセージに焦点を当てたものとして説明しました。すなわち、神の恵みの福音を宣べ伝えることです。 この同じ福音が最初にアブラハムに宣べ伝えられました。ガラテヤ3章8節はこう言います。「聖書は、…アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。」この祝福は単なる物質的なものではなく、御霊の約束と神の良きものの注がれる約束でした。それは預言的な形での恵みでした。 この契約の恵みを表すヘブル語は「ヘセド(hesed)」であり、神の慈愛、憐れみ、変わることのない恵みを表す言葉です。ダビデが『ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。』」(2サムエル記9:1)と語ったのも、この「ヘセド(hesed)」、つまり、契約に基づく恵みを指していました。イエス・キリストを通して、この恵みは今や信じるすべての人類に注がれています。 エペソ2章8節はこう言います。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」福音は救い、健康と癒し、解放、義をもたらしました。それは私たちがそれに値したからではなく、神が善い方だからです。神の慈愛は人々を悔い改めに導きます。(ローマ2:4)これが私たちが伝えるメッセージです。神は世を愛し、御子を遣わされました。それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためです。 恵みの福音は、罪に定めることについてではなく、義と認めることについてです。恵みの福音は、倒れた者を起こし、失われた者を栄光の相続へと招くことに関するものです。使徒の働き20章32節がこう記すのも当然です。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 祈り 愛する父よ、私に託された主の恵みの祝福された福音を感謝します。私は主の慈愛の分け与える者、主の憐れみの運ぶ者、主の救いの証人として、福音を大胆かつ熱心に宣べ伝えます。私は福音の恵みと祝福の満ちあふれるの中で歩みます。他の人々に大胆に福音を分かち合うことができますように、主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参考聖書 (ヨハネ1:16-17) 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。 (ガラテヤ3:8) 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。 (エペソ2:8-9 NIV) あなたがたは恵みによる、信仰によって救われたのです。これは、あなたがたから出たものではなく、神からの賜物です。9 それは、行いによるのではないので、だれも誇ることができないのです。 Source link

魂の価値 | 御言葉の実在

2025年12月2日(火) 魂の価値 The Value Of A Soul 「人は、たとい全世界を得ても、いのち(魂)を損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ8:36) 神にとって、一つの魂は世界のあらゆる富や資源、権力よりも価値があるものです。これは驚くべき真実であり、神の王国の価値の実在です。人間の魂の価値に匹敵(ひってき)するものなど何もないのです。聖書はこう記しています。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 主イエスは、この世の制度や建物や植物のために死なれたのではありません。主は人のために死なれたのです。あなたが出会うすべての魂には永遠の価値があります。経歴や行動に関わらず、一人ひとりが神にとって深く大切な存在なのです。その価値はイエス・キリストの血によって示されています。「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18-19) あなたが魂の価値を真に理解した時、伝道は単なる義務を超え、愛の使命となります。あなたは失われた者たちのために涙を流し、彼らのために祈り、彼らに届くために自分の居心地の良い場所を離れることでしょう。悪魔は人々が名声、富、快楽に気を取られ、永遠を忘れることを望んでいます。しかし神の子たちとして、あなたは表面を超えて見なければなりません。すべての魂を取り戻されるのを待つ宝物として見てください。 魂の価値をさらに知らせるために、聖書はこう言っています。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7) 考えてみてください。一人の罪人が悔い改めることで天全体が喜ぶなら、私たちがその喜びを何度も繰り返すためにどれほど努力すべきでしょうか。ですから、魂を救うことを習慣とし、生き方としてください。滅びゆく運命を変えてください。人々の魂を暗闇から光へ、サタンの力から神のもとへ導き出してください。これほど満たされるものはないのです。 祈り 天の父よ、人々が神の御目で見られるように、私の目を開いてくださり感謝します。魂の真の価値を知り、認識できるように助けてくださり感謝します。この真理により、失われた者たちへの憐れみが私の心を燃え立たせます。私は熱心に福音を宣べ伝え、彼らを闇の支配から主の驚くべき光へと移すことができます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ルカ15:3-7) そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 (ヨハネ 3:16-17) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 (ヤコブ5:20) 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。 Source link

イエスはあなたの代理人でした | 御言葉の実在

2025年12月1日(月) イエスはあなたの代理人でした He Was Your Representative 「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(2コリント5:18-19) 私たちの救いに必要な犠牲はただ一つ、十字架上のイエスの犠牲でした。使徒の働き13章38節から39節にはこう記されています。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」これは驚くべきことです。イエスを信じる者は皆、モーセの律法では義と認められなかったすべての事においても、義と認められるのです。 イエスは死においてあなたの身代わりになられました。イエスが十字架で死ぬとき、あなたもその十字架で死んでいたのです。なぜなら、イエスは神の前であなたの代理人となられたからです。それは全世界のためでした。イエスが、十字架上であなたの代理人となられたなら、葬られたときもなおあなたの代理人でした。つまり、イエスが葬られたとき、あなたも葬られたのです。全世界の罪人がイエスと共に葬られたのです。イエスは私たちの代理人だったからです。 イザヤ53章6節はこう言います。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」さて、このイエスは、十字架で死んだ時にも、墓の中に葬られた時にも、私たちの代理人であられたのです。ですから、神がイエスをよみがえらせた時、私たちもみなイエスと共によみがえらされたのです。国籍、人種、宗教を問わず、すべての人が、イエスと共によみがえらされたのです。 ですから、今日この言葉を読んでいて、あなたがまだ新しく生まれていないなら、この御言葉の実在のデボーションを開き、救いの祈りを捧げてください。イエスが死と埋葬と復活によってあなたのために成し遂げた救いを受け入れてください。イエスはあなたの罪の代価を支払われ、今、神はあなたの罪を数えられません。ハレルヤ! 告白 愛する父よ、イエスの身代わりの犠牲に感謝します。イエスは死と葬りと復活において私の代理人となってくださいました。イエスを通して、私はすべての罪から義と認められ、正しい者とされました。この真理を自覚して歩みます。もはや私に対して罪の訴えは立てられないことを知っています。私は罪、罪悪感、そして裁きから解放されています。ハレルヤ! 参考聖書 (ローマ4:23-25 ESV) しかし、「それは彼に数えられました」という言葉は、彼のためだけに書かれたものではありません。しかし、それは私たちにも数えられます。信じる人、私たちの主イエスを死からよみがえらせた方、イエスは私たちの罪のために引き渡され、私たちの義とされるためによみがえられました。 (ヨハネ 1:29) その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 (2コリント5:21) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 Source link

矯正に従順になる | 御言葉の実在

2025年11月30日(日) 矯正に従順になる Yield To Correction 「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」(1サムエル記15:22-23) サムエルがサウル王に語った言葉は、不従順の危険性に対する深い洞察を明らかにしています。サウルは預言者サムエルを通して神から明確な指示を受けていましたが、自らの行動を選択しました。するとサムエルは彼を戒め、こう言いました。「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」 従順がいけにえよりも優先されることに注目してください。神は、いかなる宗教的儀式よりも、御言葉を生き、御言葉を行うことにこそ関心を持たれるのです。さらにサムエルは、主の言われることを行わないことを占いと同列に置き、「背きは占いの罪に等しい」と言いました。これは驚くべき比較です。不従順は背きを生むのです。 サムエルは続けて言いました。「…従わないことは偶像礼拝の罪だ」 背きは持続すると頑なさに変わります。頑なさとは何でしょうか?それは戒めを受け入れることを拒むことです。神の助言や指示を無視して、自分の道を貫こうとする執着です。聖書はこれを偶像礼拝と同等と語っています。 なぜなら、そのような状態では、個人が自らを高め、自分を唯一の権威と見なすからです。神の言葉よりも自分の意見を尊ぶのです。それは自己崇拝であり、自己崇拝は偶像礼拝です。人が従わず自らの道を主張する時、そむきに入るのです。戒められてもなお改めないなら、それは頑なであるのです。そして神の御言葉によれば、頑なさは不義であり偶像礼拝です。だから聖霊の戒めや御言葉の教えを決して軽んじてはいけません。戒めを拒むことは、自らを偶像とすることです。しかし、御言葉に謙遜に従うことは知恵なのです。 祈り 愛する父よ、御言葉の明瞭さと力、そして御言葉が私の人生にもたらす変革に感謝します。私の心は常に柔らかく、御教えと導きに委ねられています。私は他のいかなる意見や好みよりも御声を尊び、御心に従って歩み、義の自由と喜びのうちに生きるのです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言29:1 NIV)多くの戒めを受けてもなお頑なな者は突然に滅びる。救いようがない。 (ヤコブ1:22)また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。 (ヘブル12:9-11)さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 (箴言3:11)わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。 Source link

戦略的な魂の獲得 | 御言葉の実在

2025年11月29日(土) 戦略的な魂の獲得 Strategic Soul Winning 「…知恵のある者は人の心(魂)をとらえる。」(箴言11:30) 前回の御言葉の実在で、私たちが学んだことの一つは、魂を救うための正しい戦略を主に求めることの重要性でした。結果の出ない同じ活動を続けるべきではありません。聖霊の導きに従い、時折アプローチを調整しましょう。時には集会場所自体が問題である場合もあります。場所や形式を少し変えるだけで、大きな違いが生まれることがあります。また、伝道には費用がかかることもありますが、それは問題ありません。ですから、伝道活動を重要なイベントのように計画しましょう。 あなたがプロフェッショナルな食事会やビジネス朝食会を計画すると想像してみてください。あなたはおそらく何も偶然に任せたりしないでしょう。同様に、伝道プログラムを計画する際には細部まで行き届かせましょう。身だしなみを整え、喜びに満ちた雰囲気を作り、全てが感動的になるようにしてください。そして重要な鍵は、適切な人々、つまり、救いと弟子訓練の見込みがある人々を招くことです。すでにクリスチャンで他の教会に深く関わっている人々ではありません。 また、あなたの礼拝の場から離れさせる可能性のある相互招待は避けましょう。誰かがあなたのプログラムに参加したからといって、あなたが彼らのプログラムに参加しなければならないわけではありません。自分の教会に根を下ろし、献身することが最善です。不安定であったり、あちこち飛び回ったりすることに栄光はありません。 魂を救うことは単なる行為ではなく、その背後にある知恵が重要です。聖書は「魂を救う者は賢い」だとあります。(箴言11:30)ですから、見極めを怠らず、御霊に導かれ、何よりも教会家族とその伝道使命に献身しましょう。 祈り 愛する父よ、失われた者たちに手を差し伸べるための知恵と神聖な戦略を感謝します。私は魂を救うことに効果的であり、アプローチに賢く、結果に実り豊かです。常に御霊の導きに従います。福音をもって手を差し伸べる時、献身的で熱心であり、喜びに満ちています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (伝導書 10:10)もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。しかし知恵は人を成功させるのに益になる。 (1 コリント9:21-23)律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。 Posted in 御言葉の実在 Share this post, let the world know Source link