あなたは神によって完成された作品 | 御言葉の実在

2025年12月28日(日) あなたは神によって完成された作品 You’re God’s Consummate Man 「 私たちは神の[ご自身の]作品で(神の傑作)あって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって[新しく生まれ]造られたのです。」(エペソ2:10AMPC) あなたは神によって完成された存在であることを考えたことがありますか?神はあなたを欠陥や限界、抑制など一切なく創造されました。あなたは神が卓越した技で作り上げた傑作であり、完全で、完璧な存在なのです。これが神の完全なる御心です。神があなたを創造された時の意図であり、今も変わらず神が心に留めておられることです。 ヘブル10章14節はこう言っています。「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」それは聖なるあなたのことです。あなたは永遠に完全であり、完全さを超えることはできません。ハレルヤ!ダビデでさえこのことを理解し、主を賛美してこう言いました。「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」(詩篇139:14)。神が見られるのは完全なあなたです。つまり、欠けるものも、壊れた部分もないあなたを見ておられます。 それは聖書の言葉を思い出させます。「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かを加えることも、それから何かを取り去ることもできない。…」(伝道者3:14)神のなされることは時間が経っても変わらないのです。神の御業は完全であり、永久です。神があなたを創造された時、腎臓や心臓、肺が機能不全に陥ったり、血液疾患を抱えたりすることは計画の一部ではありませんでした。 病気や患い、衰弱によって体が傷つけられたり、損なわれたりすることも計画にはなかったのです。あなたは健康において完全とされたのです。なぜなら、神の御業には完全さがあるからです。創世記13章1節はこう書いています。「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。…」注目すべきことは、神が、ご自身が造られたすべてをご覧になり、それが部分的に良いとは言わず、「非常に良かった」と宣言された点です。あなたもこの視点で自らを見なければなりません。 あなたは完成された者なのです。あなたは卓越し、完璧で、理想的で、欠点がなく、完全で、至高(しこう)で、全体に健全な者のです。あなたはあらゆる善と神聖さと神性に満ちています。これは聖書が「キリストにあって満ち満ちているのです」(コロサイ2:10)と語る理由を理解するのに役立ちます。だからこそ、あなたは立ち向かい、病むことを拒絶しなければなりません。人生における失敗者や犠牲者となることを拒んでください。サタンとそのむれ、そしてこの世の状況に対して支配権の行使と優勢を歩んでください。あなたは神の特別な宝物です。あなたは義と聖さで完成された者です。主の御名に永遠の栄光がありますように。 祈り 愛する父よ、私を卓越性と完全さをもって造り上げてくださったことを感謝します。私はキリスト・イエスにあって善い行いをするために造られた、主の完成された者です。私は成功、勝利、健康、義の定められし道を歩み、キリストにあって完全であり、神の神聖な性質と命に満ちあふれています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヤコブ1:18) 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 (1ペテロ2:9 AMPC) 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の[徳と完全性を示した]すばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」 (テトス2:14) キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。 Source link

福音の真のメッセージ | 御言葉の実在

2025年12月27日(土) 福音の真のメッセージ The True Message Of The Gospel 「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4) 私は時々クリスチャンに「キリスト教はどう始まったのですか?」と尋ねます。多くの場合、 自信がなく答えられません。彼らはキリスト教はイエスが十字架にかけられた時から始まったと考えがちです。しかし違います。キリスト教は、イエス・キリストの復活から始まり、ペンテコステの日に聖霊が現れたことによって可能となったのです。真の救いのメッセージは、イエス・キリストの復活に基づいているのです。 これは重要な点です。なぜなら、あなたが真のクリスチャンとしての生活を送っているのか、それとも宗教的なキリスト教を実践しているのかが明らかになるからです。イエスが死ぬまでは、永遠の命を受けることは不可能でした。イエスの死は、私たちの罪、すなわち全世界の罪の代価を支払ったに過ぎません。ですから、イエスが死んだ時、すべての人の罪の代価は支払われたのです。 聖書は、神が罪のために一つの完全ないけにえを必要とされたと記しています。なぜなら、祭司たちが毎年捧げた雄牛や山羊の血では罪を取り除くことができなかったからです。ヘブル10章11節から14節にはこうあります。「また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、…キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」 イエスの死は私たちの罪のために代価を払いましたが、私たちの罪のためのいけにえだけでは十分ではありませんでした。神はそれよりも優れたものを必要とされました。神は私たちに罪のない人生を望まれたのです。それが可能になったのは、イエスが復活された時でした。覚えておいてください、イエスが死なれた時、私たちも主と共に死んだのです。イエスが葬られた時、私たちも主と共に葬られました。イエスが墓から復活された時、私たちも主と共に復活したのです。 イエスは復活の時、新しく生まれました。神によって再び生まれたのです。「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。」(使徒13:33) 死者の中から最初によみがえられた方です。(黙示録1:5)イエスが「最初に生まれた方」と呼ばれるのは、 私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。(1ヨハネ4:17)ローマ6章4節にはこう記されています。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」 私たちはイエスの復活の産物です。あなたは新しく生まれた時、新しい命、つまり、復活の命をもって生まれたのです。これが真の救いのメッセージです。ハレルヤ! 告白 愛する父よ、私が永遠の命を受け取ることを可能にしてくださったイエス・キリストの復活に感謝します。私はイエスの復活の産物であり、義と勝利と支配の新しい命に生まれました。私はこの真理の実在の中を歩み、私の中にある神の命と性質そのものを自覚しています。私は罪、病気、敗北、そしてこの世のシステムに勝り生きています。イエスの御名によって祈ります。ハレルヤ! 参考聖書 (ローマ8:11 NIV) もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたのうちにおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方が、あなたがたの朽ちるべきからだをも、そのあなたがたのうちにおられる御霊によって、いのちを与えてくださいます。 (2コリント5:17) だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (ヘブル10:11-14) また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。 Source link

主イエスはご自身の神性を認められた | 御言葉の実在

2025年12月26日(金) 主イエスはご自身の神性を認められた The Lord Jesus Affirmed His Deity 「それで、ユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。『あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。』イエスは彼らに答えられた。『わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。…」(ヨハネ10:24-25) クリスチャンに対して「イエスでさえ自分がキリストであるとか神の子であるとか言ったことはない。それなのに、私たちに、なぜイエスが自らについて語らなかったことを主張するのか?」と言う人々がいます。しかし、 そのような考えを持つ人は、聖書をきちんと読んだことがありません。例えば、冒頭の聖句を見てください。ユダヤ人たちがイエスのもとにやって来て言いました。「いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」   主の答えは極めて簡潔で明快、そして直接的でした。「わたしは 話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。」そしてこう付け加えられました。「わたしが父の名によって行うわざが、わたしについて証言しています。」つまり、キリストであると自ら告げることに加え、父の名によって行う奇跡や御業こそが、イエスがキリストであるさらなる証拠であり、キリストの存在を証ししているのです。 主はご自身の神性を断言するにあたり、言葉を濁しませんでした。主はご自身がキリストであることを明らかにされました。 続く26節から30節ではさらに強調してこう言われました。「…わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。…わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。…わたしと父とは一つです。」これは驚くべきことです。このように語るのは神でなければできません。永遠の命を与えるのは神のみです。イエスはまことの神であり永遠の命であるのです。だからこそ、イエスは永遠の命を与えることができるのです。「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」(1ヨハネ5:20)ハレルヤ。 またイエスはこうも言われました。「わたしと父とは一つです。」なんと驚くべき宣言でしょうか。ユダヤ人たちはこの言葉の重大さを理解し、石を拾ってイエスを石打ちにしようとしたのです。彼らは「どうして、ただの人間であるあなたが、自分を神と同等だと言えるのか?」と言っていました。彼らはイエスが誰であるかを知らなかったからです。イエスはご自分をキリストであり、人の体にある神であると宣言されました。これらのことは、イエス自身が語ってくださったことなのです。 ヨハネ5章26節で、イエスはこう言われました。「それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。」これであなたは、なぜイエスがご自身を信じる者に、永遠の命を与えるのかが理解できるでしょう。イエスにはその権威があるのです。父が命を持つように、イエスも命を持っているのです。イエスは神と一つであり、神と同等です。ですから、あなたがイエスを宣べ伝えるとき、イエスについて語る時、信じる時、あなたは普通の人間と関わっているのではありません。テトス2章13節は、イエスを大いなる神であり、私たちの救い主であるキリスト・イエスと呼んでいます。イエス自身は神なのです。ハレルヤ。 祈り 愛する父よ、人となられた神、御言葉が肉となったイエス・キリストの啓示に感謝します。私は、イエスがキリスト、まことの神であり永遠の命であると信じ宣言します。私は主イエスの人格、力、御名、主権の大胆さと権威をもって歩み、地の果てまで主の支配と神性を宣言します。私を通して、主の真理が勝利し、主の栄光が明らかにされます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ10:30-38) わたしと父とは一つです。」31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」34 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。35 もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、36 『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。37 もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。38 しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」 (ヨハネ14:9-10) イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。 (コロサイ2:9) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。 Source link

三位一体の神との交わり | 御言葉の実在

2025年12月25日(木) 三位一体の神との交わり Fellowship With The Godhead 「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ1:3) キリストにおいて、私たちは父なる神、御子、聖霊との交わりへと招かれました。継続的している学びによると、これがイエスから受ける三つ目の賜物、すなわち、交わりです。この「交わり」はギリシャ語「コイノニア(koinonia)」から訳され、複数の含意を持ちます。 英語における美しい同義語には「交わり(communion)」があり、これは非常に強い言葉で、一体性、共に飲むこと、同じ源から汲み取られることを意味します。もう一つは「コミュニケーション(communication)」であり、コミュニケーションがあるからこそ交流が可能です。 主イエスを通して、私たちは父なる神との驚くべき一体を享受できるのです。世界が暗闇の中で手探りし、神との交わりを求め渇望している間、私たちは神格とのこのすばらしい交わりへと招き入れられたのです。これは非常に大きなことです。これがクリスマスの真の本質です。私たちは神聖の性質にあずかる者(2ペテロ1:4)とされました。つまり私たちが「神の同じ類いの仲間」となったのです。 1コリント1章9節はこう宣言しています。「神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」イエスは偉大で栄光に満ちたお方であり、私たちは今や主と交わりし、一つに結ばれた関係の中にいます。すなわち、私たちは主との親密さと一体を 享受する存在なのです。 使徒ヨハネが「…私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ 1:3)と語るのも当然です。ハレルヤ! この真理は2コリント13:14でも強調されています。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」 この「交わり」はフェローシップ(fellowship)と同じ言葉です。ですから、私たちは聖霊との交わりの中にいるのです。 これは未来の約束ではなく、私たちの現在の現実なのです。私たちはもはや外から覗き見る立場ではないのです。私たちは神性の内輪へと招かれ、深く親密な交わりの中に置かれているのです。この自覚があなたの人生を支配するようにしてください。日々この神聖な交わりの中を歩んでください。それが毎日を勝利のうちに生きる鍵なのです。 祈り 愛する父よ、父なる御神と主イエスと聖霊との交わりの特権に感謝します。私は神と同じ類いの仲間として、神と切り離せない一体であることを自覚しながら生きています。私の人生は栄光と卓越に満ちています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2ペテロ1:3-4) というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。 (1コリント6:17) しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。 (ヨハネ 14:23) イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。 (1コリント1:9 AMPC) 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。 Source link

イエスのみが永遠の命を与える | 御言葉の実在

2025年12月24日(水) イエスのみが永遠の命を与える Only Jesus Gives Eternal Life 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 前回の学びでは、イエスから受けた三つの重要な事柄について議論を始め、第一に義について考察しました。今日の学びでは、第二の事柄である永遠の命について説明します。イエス・キリストが死んで復活されるまで、誰も永遠の命を得ることは不可能でした。では、永遠の命とは何でしょうか?それは神性の生きた実存的な神の性質です。 永遠の命とは、神性の本質そのものであり、神の神聖な命です。この神聖な命こそ、イエスが私たちに可能にしてくださったものです。これは世界中のあらゆる宗教が渇望するものです。世界中のすべての人々は、神を信じるかどうかに関わらず、何らかの形で、この神の性質を望んでいるのです。彼らはその命を探していますが、その命をどうやって得られるのか、その命の本質について理解していません。彼らは人間がはるかに多くのもののために創造されたという直感を持っています。人間は単に存在し、普通の動物のように死んで永遠に忘れ去られるためにあるのではないのです。彼らは人間の中に永遠に生きる何かが存在すると信じ、その「何か」を探しているのです。 そうです。彼らの直感は正しいのです。しかし、それを得る唯一の道は、イエスを知り、心の中にイエスを受け入れることなのです。イエスは、まことの神であり、永遠の命です。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)また1ヨハネ5章20節にはこう記されています。「…それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」 そしてヨハネ10章27節から28節で、イエスは驚くべきことを語りました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、…。」今読んだ言葉を改めて深く考えてみてください!あなたが何かを与えるためには、それを持っているか、それ自体である必要があります。イエス・キリストが永遠の命を与えられるのは、御自身が永遠の命そのものであるからです。そして、あなたが新しく生まれた時にその命を授けたのです。神に栄光がありますように! 新しく生まれたあなたは、死から命へと移ったのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)1ヨハネ5章11節から12節にはこう記されています。「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」 過去形の時制に注目してください。神の証し、すなわち御自身の証言は、神が私たちに永遠の命を与え、この命が御子イエスの中にあるということです。イエスを持つ者は誰でも命を持っています。イエスを受け入れていない者は、その命を持っていません。永遠の命を与えるのはイエスだけなのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、私の霊の中に宿る神の命と神の性質である、永遠の命の賜物に感謝します。神の神聖な命が私の中で働いているゆえに、私は病気、患い、敗北、死に勝り生きています。私は、神の神聖の性質にあずかる者とされたことを知り、日々勝利と栄光のうちに歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ6:47) まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 (ローマ6:23) 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 (2ペテロ1:3-4) イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 Source link

イエスが私達にもたらした重要な3つ | 御言葉の実在

2025年12月23日(火) イエスが私達にもたらした重要な3つ Three Important Things Jesus Brought to Us 「 もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。」(ローマ5:17) 主イエスが私たちにもたらした三つの重要なものがあり、すべてのクリスチャンは特にこのクリスマスシーズンに熱心に学び、理解し、実践すべきものです。それは義、永遠の命、そして交わりです。これらはイエス・キリストから受け取る三つのもので、他のいかなる方法でも得ることはできません。世界のどの宗教もこれらを与えることはできず、今日の学びではその一つである義に焦点を当てます。 義、すなわち神の義とは、神の卓越性、愛、そして目的の現れです。神の義について語る時、私たちはあらゆるものにおける神の卓越性について語っているのです。神は万物の頂点におられるのです。神は卓越しておられ、同時にそれは、あらゆるものにおける神の愛と神の正しい目的の現れでもあります。あらゆるものに関して神の義があるのです。その義が人に向けられる時、あることが起こります。人はその義を受け取り、その人の内に神の正しさを生み出すのです。 これは極めて重要です。なぜなら神には欠点がないからです。もし神に欠点を見いだせるなら、それは神が不足していることを意味しますが、神は決して不足しません。神は常に正しく、永遠に正しいのです。神の考え、言葉、行いはすべて正しく、神は同じ性質を私たちに授けてくださいました。今や私たちは正しく考え、正しく語り、正しく行動し、正しく生きることができるのです。 これが、あなたがイエスを受け入れ、新しく生まれるときに起こったことです。あなたが得たのは宗教ではありません。神の正しい性質が贈物としてあなたに与えられたのです。(ローマ5:17)あなたは神の義を得たり自ら実現したりすることはできなかったため、義はあなたに与えられなければならなかったのです。他のいかなる方法では決して得られないものです。しかし、イエス・キリストを通して、神聖の義が神の賜物により、私たちに現されているのです。 神の義こそが、罪悪感や恐れ、非難、劣等感なしに、父なる神の御前で正しい立場を保たせてくれるものです。神の義が与えられるまでは、私たちは決して神に仕えたり、神のために生きることはできませんでした。あなたがイエスを信じた時に得た驚くべきもの、それが義なのです。残りの二つについては、今後の学びで見ていきましょう。 祈り 愛する父よ、義の賜物を感謝します。私は主との正しい関係を知り、大胆さと確信をもって歩みます。キリストにある私の存在を意識し、罪悪感や非難、恐れから解放されて生きています。キリスト・イエスにおいて私を主の義としてくださったことを感謝します。私は命によって支配し、主の卓越性と愛の性質を現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ5:17) もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。 (1コリント1:30) しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 (ピリピ3:8-9) 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。 (2コリント5:21) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 Source link

キリスト教-神との愛の関係 | 御言葉の実在

2025年12月22日(月) キリスト教-神との愛の関係 Christianity—A Love Relationship With God 「…弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒の働き11:26) 私はしばしばキリスト教は宗教ではないと言ってきました。これを理解できない人々もいます。しかし、キリスト教の真の教えを掴めば、それが全く宗教ではないと気づくでしょう。実の父との関係を考えてみてください。それは宗教でしょうか? 決してそうではないはずです! したがって、極めて単純に定義すれば、キリスト教とは父なる神とその子たちとの関係です。イエスがそれを可能にするまで、このような関係は存在しませんでした。イエスは私たちを単なる礼拝者、単なる宗教的行為から解放し、天の父との交わり、愛の交わりへと導くために来られました。イエスは私たちを神との真に生きた関係へと招き入れたのです。それは家族の関係です。 エペソ3章14節から15節は、この家族のことについて語っています。天にいる家族もいれば、地にいる家族もいるのです。この事実は、主イエスが私たちのためになされた贖いのいけにえがどれほど偉大で驚くべきものであるかを理解させてくれます。イエスは私たちの主であり、救い主であると同時に、私たちの兄弟でもあります。聖書は、イエスが復活され、昇天の前に、マリアが主を見かけ、抱きしめようと駆け寄ったと記しています。どころが、イエスはこう言われました。「…わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」 (ヨハネ20:17) 注目すべきは、イエスが弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼んだことです。復活前は「しもべ」と呼び、その後「友」と呼ぶに至りました。「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15:15) しかし、復活後、キリスト教の起源において、私たちはイエスの「兄弟姉妹」となったのです。同じ家族の一員となったのです。イエスは私たちを御自身と一つにされたのです。この真理がさらに強く示されている箇所は、ヘブル2章11節です。「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、こう言われます。」 なんと驚くべきことでしょう!主がどれほど聖く、義にかない、栄光に満ちておられるかに関わらず、聖書は主が私たちを兄弟姉妹と呼ぶことを恥じないと記しています。つまり、これは家族なのです。主は私たちを天の父とのこの素晴らしい関係へと招き入れてくださったのです。今度のクリスマスに、魂を救う伝道活動を計画し、多くの人々を主とのこの家族の関係へと招き入れることを、あなたの祝いの糧としてください。 祈り 愛する父よ、私を父との栄光に満ち、親密で愛にあふれた関係へと導いてくださり、感謝いたします。私は主の神聖な家族の一員であり、キリストと一つとなり、王国の相続者です。私はこの一体の自覚の中で生き、愛と支配権と義のうちを歩みます。私を主のものと呼び、主の永遠の計画の一部としてくださり感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ1:12) しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 (1ヨハネ3:1-2) 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。 (ローマ8:16-17 NKJV) 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子であることを証ししてくださいます。もし神の子であるなら、相続人でもあります。すなわち、神の相続人であり、キリストと共同相続人です。もし私たちがキリストとともに苦しむなら、栄光にもあずからなければなりません。 Source link

一新された思考の力 | 御言葉の実在

2025年12月21日(日) 一新された思考の力 Power Of A Renewed Mind 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2) あなたの変革と支配権に関する神の計画は、あなたの思考から始まります。神の言葉の実在や真理は、あなたの思考がそれに一致したときにのみ、あなたの経験となります。したがって、思考の一新は非常に重要です。それは神があなたの人生を形作るための道具なのです。一新された思考とは、御言葉によって律された思考、優れた思考です。 思考を一新することは単純です。それは神の言葉によるのです。それは単に、あなたの考えを神の考えと交換し、御言葉を思い巡らす中で御言葉を思考に留めることを意味します。「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」(イザヤ26:3)一新された思考は平安と繁栄を生み出します。これが「全き平安」という表現のヘブル語的含意『シャローム(shalom)』です。 一新された思考は御言葉のみを考えます。「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)これにより、あなたの中に義人の心構え、つまり、卓越、勝利、成功、繁栄の心構えが生まれるのです。 だからこそ神は、あなたの思考の在り方を変えることに最も関心を持たれるのです。御言葉を思い巡らすとき、御言葉はあなたの信仰を再構築し、あなたの理解を高めます。ですから、意識的に神の言葉であなたの思考を満たしてください。世俗的な哲学や恐れに基づく理屈があなたの視点を支配することを拒絶してください。神の言葉を、あなたの人生を解釈するレンズとして用いてください。 あなたの思考が一新されると、恐れは消え、信仰は高まり、大胆さがあなたを支配します。あなたは神のように語り、考え、行動します。あなたは知恵と支配権の立場から決断を下すのです。ですから絶えず、新しい創造の実在にあなたの思考を一致させてください。イエスのように考えてください。可能性を見てください。結果を期待してください。思考を神の真理に一致させれば、あなたの人生は卓越し、神の栄光に満ちるでしょう。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、私の思考を一新し、人生を変革する御言葉に感謝します。私は御言葉の真理に反するあらゆる考えを拒みます。私は可能性を考え、支配権について思い、卓越を考え、御言葉の光の中を歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨシュア記 1:8) この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 (ピリピ4:8) 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 Source link

私達は世界に影響を与える神の大使である | 御言葉の実在

2025年12月20日(金) 私達は世界に影響を与える神の大使である We’re His Agents For Global Impact 「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、…」(イザヤ9:7) イエス・キリストの教会は、単なる組織や礼拝者の集まりではありません。教会は神が諸国民に神の御心と計画を実行するための神の代理機関です。教会は真理の柱であり土台であるのです。(1テモテ 3:15) 神が一つの国において成し遂げようとされることはすべて、神ご自身の体である教会を通して始められます。(エペソ1:22-23)そして、あなたはその体の一員です。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(1コリント12:27)これはあなたが、世界規模で、神聖な、力に満ち、栄光と支配に満ちたものの一部であることを意味します。 イエスが「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)と言われたとき、主は地獄、サタン、闇の勢力に対して教会が持つ支配権と優位性を強調されたのです。神はすべてのものを教会の足の下に置かれたのです。「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」 (エペソ1:22-23)なんと栄光に満ちたことでしょうか! 教会の中にいる誰もが弱く、あるいは被害者として生きてはならない理由をご存知ですか?私たちは神の実在、神の満ち溢れ、神の恵み、栄光、王国、力、人格の現れなのです。神に栄光をささげます!私たちは天国の鍵を握っているのです。私たちは神聖の臨在と権威を携えているのです。教会を通して、神は地上で義を実行し、御使いたちや支配者どもに神ご自身の多様な知恵を明らかにされるのです。「これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、」(エペソ3:10) 教会の一部としてあなたに与えられた立場に就いてください。教会の成長、力、拡大に貢献してください。エペソ4章16節(NIV)はこう言います。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」積極的に魂の救いに参加してください。影響力を及ぼすことを考えてください。あなたの世界において、キリストのために効果的に働きをしてください。神はあなたを通して世界を変えたいと望んでおられるのです。 祈り 愛する父よ、私をキリストの体の中に置き、全世界を変革の神のご計画において重要な役割を担わせてくださり感謝します。私は自分の立場に就き、効果的に働き、地上での主の働きの拡大に貢献します。地上で主の義を確立し、主の栄光と臨在をもって世界に影響を与えます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (マタイ16:18-19) ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」 (エペソ1:17-22) どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。 (コロサイ2:9-10) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。 Source link

王国の資源の管理する者 | 御言葉の実在

2025年12月19日(金) 王国の資源の管理する者 Stewards Of Kingdom Resources 「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(ルカ16:11) 冒頭の聖句で主の言葉によれば、地上の富を忠実に扱う者でなければ、天の宝を託されることはないと言われています。つまり、金銭に対するあなたの姿勢は試みであるという意味です。神はあなたが資源をどう扱うかを見守り、あなたに委ねられる霊的責任の重さを判断されます。 キリストにおいて、私たちは神の王国を目的として託された神聖の資源の管理者であり、守衛者です。あなたに与えられるあらゆる祝福、増加、機会、あらゆる賜物と恵みは、すべて信託されたものです。あなたはそれを神の王国への意図と目的をもって管理することが求められています。 聖書は、様々な賜物を用いて神の恵みの忠実な管理人として仕えるよう命じています。(1ペテロ4:10)これには金銭も含まれます。神は私たちが優れた財務管理人となることを望んでおられます。財務管理とは、あなたの資源を神の計画に一致させることに他なりません。あなたへの供給が、あなた自身の蓄えのためではなく、神の王国の影響力拡大、世界宣教のためにあることを自覚することです。 管理には知恵、計画性、卓越性、説明責任が求められます。管理の務めはわずかなものでも大きなものでも、勤勉さが不可欠です。あなたの給与であれ、贈り物であれ、事業利益であれ、聖なる信託として扱ってください。福音を広めるためにそれを用いてください。あなたの財政をもって主を敬ってください。忠実な管理者として自らを証明するとき、主はあなたの能力を増し加え、霊的にも物質的にもより多くのものを託してくださいます。 祈り 愛する父よ、私を王国の富の管理者に任命してくださり感謝します。与えられた全てを知恵と誠実さをもって扱います。私の資源を御心と一致させて用い、小さなことにも大きなことにも忠実であると認められるようにします。私はこの世への祝福の器であることを宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (1コリント4:1-2) こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさいこのばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。 (2コリント9:6-10) 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。 (箴言 3:9-10) あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。 Source link