情熱と集中力をもって御言葉を渇望せよ | 御言葉の実在

2025年11月21日(金) 情熱と集中力をもって御言葉を渇望せよ Crave The Word With Passion And Intensity 「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」(2ペテロ3:18) 1ペテロ 2章2節には、こう記されています。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」これは、霊的に成長する方法と、あなたがどんな人生を生きるべきかについて驚くべき洞察を与えてくれます。あなたはあらゆる悪意、欺き、不誠実、偽り、妬み、中傷を捨て去るべきなのです。 リビングバイブルはこれを美しく訳しています。「ですから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口を捨てなさい。」神は、こうした行いを続ける代わりに、「…乳を求める赤ん坊のように、熱心にみことばを求めなさい。それによって成長するためです。」と言われています。神はあなたが救いにおいて成長することを望んでおられるのです。 キリストを受け入れた今、あなたは御言葉への強い渇望を持ってください。神の事柄において成長することを切に願ってください。神の御言葉を熱烈に、喜びをもって渇望してください。長年にわたり、私は成長への深い渇望を持つ多くの人々に出会ってきました。彼らは主を渇望し、質問を投げかけ、聖書を調べ、定期的に礼拝に出席し、学びを熱望していました。それは常に美しい光景です。 御言葉への心からの、絶え間ない渇望を持ってください。コロサイ3章16節はこう言います。「キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」 御言葉へのあなたの渇望を飽くことのないものにしてください。ヨブのように、必要な食物よりも御言葉を尊び、切に求めてください。それを喜びとしなさい。そうすれば、あなたのするすべてのことが栄えるでしょう。(詩篇1:1-3を参照)ハレルヤ!これがあなたに対する神の御心なのです。 祈り 愛する父よ、私を築き上げ、信仰に堅く立たせてくださる御言葉に感謝します。御言葉によって、私は救いの満ちあふれるところまで成長し、強くなり、揺るがず、あらゆる善いわざにおいて実を結び、繁栄し、健康に満たされます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (1 ペテロ2:1-2 AMPC)ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。 (ヘブル5:12-14)あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。 (コロサイ3:16)キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 (ヨシュア1:8)この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 Source link

御父へ近づく唯一の道 | 御言葉の実在

2025年11月20日(木) 御父へ近づく唯一の道 The Only Access To The Father 「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6) 私たちが今読んだ主の言葉は絶対的なものです。主は「一つの道」ではなく「唯一の道」だと宣言されました。そこに曖昧さは一切ありません。主は真理であり、命そのものです。そして、父なる神への唯一の道は主のみです。使徒の働き4章12節はこう宣言しています。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」 イエスの主権を告白すること以外に、救いへの道はありません。救いはイエス以外には見出されません。聖書がそう語っているのです。そしてそれが絶対的な真理である以上、私たちは黙っていられません。私たちは日々を、他の人々をキリストへと導くことを最優先として生きねばなりません。 永遠の命を与えるのはイエスだけです。なぜならイエスは永遠の命そのものだからです。「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」(ヨハネ10:28)また1ヨハネ5章20節には、「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」とあります。これが、私たちが宣教する理由です。これが、私たちが人々に手を差し伸べる理由です。これが、私たちが世界中で伝道、集会、セルグループを組織し、『御言葉の実在』を配布する理由です。 私たちは単なる宗教活動に参加しているのではないのです。神の最高の召しを果たしているのです。永遠の分離から人々を救い出し、神の御子の栄光の自由へと導いているのです。主イエスこそが彼らの唯一の希望です。福音を全世界に伝える責任が私たちに託されているのです。すべての男女、少年少女が福音を聞き受け入れるまで、情熱と大胆さと切迫感をもって、この働きを続けましょう。 祈り 愛する父よ、すべての人が救われるイエスの御名を感謝します。私は沈黙することを拒みます。大胆さと力を持って福音を宣べ伝え、多くの人々を暗闇から光へ、サタンの力から神へと立ち返らせます。救いのメッセージは急速に広がり、主イエスは栄光を受けられます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ10:13-15)「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 (ヨハネ3:36)御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。 (2 コリント5:18-19)これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 Source link

揺るがず、堅く立つ | 御言葉の実在

2025年11月19日(水) 揺るがず、堅く立つ Stand Firm And Steadfast 「愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい…」(2ペテロ3:17-18) 聖霊は、冒頭の聖句で使徒ペテロを通して力強い戒めを与えています。主はあなたが揺るぎない者であり続け、悪しき者たちの誤りに従うことを拒むことを望んでおられます。主はあなたが恵みと、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの知識において成長することを望んでおられるのです。 霊的成長は、欺きや不安定さに対する解毒剤です。霊的成長は、反対する教義や注意散漫によって揺るがないように、あなたが根を張り、強く、堅固に保ちます。教会やセルグループに出席すること、あるいは霊的な事柄に参加するようにいちいち言われなければならない者になってはいけません。強く、頼りになる者となり、主とその御言葉、そして御業への献身において揺るぎない者となってください。 悪しき者たちの誤りは、必ずしも外見上悪に見えるものばかりではありません。例えば、伝道の書8章10節にはこう記されています。「そこで、私は見た。悪者どもが葬られて、行くのを。しかし、正しい行いの者が、聖なる方の所を去り、そうして、町で忘れられるのを。これもまた、むなしい。」 彼らは神の家に頻繁に通い、聖なる所に出入りしていたが、決して信じられることはなく、死に、葬られ、忘れ去られました。彼らが生きている間は称賛されていたかもしれませんが、彼らの影響力は空しく、その人生は無駄なものだったのです。 新国際訳(NIV)ではより明確にこう訳されています。「また、私は悪人が葬られるのを見た。彼らは聖なる場所を行き来し、その行いをした町で称賛を受けていた。これもまた空しい。」彼らの末路は何でしょうか?詩篇9篇17節は私たちに明確に告げています。「悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。」悪しき者たちは、決断や仕事、目標などにおいて神を認めず、神を忘れて生きてきた者たちです。 神を忘れないでください。目的も、ビジョンも、焦点も、成長もないまま、神の御前に漂い去る群衆に従わないでください。悪しき者の過ちを避けてください。代わりに恵みの中で成長してください。キリストについての知識の中で成長してください。堅く立って揺るがず、あなたの人生が神の栄光のために数えられるようにしてください。 祈り 愛する父よ、私に成長と訓練、霊的な力を与える御言葉に感謝します。私は御言葉の真理に堅く立ち、主への献身において揺るぎなく、不動です。私は恵みと主イエス・キリストの知識において成長します。私は根を下ろし、地に足をつけ、実を結び、主に喜ばれる人生を歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (1 コリント15:58)ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 (詩編1:1-3)幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 (コロサイ2:6-7)あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。 Source link

魂の為に深くうめく | 御言葉の実在

2025年11月18日(火) 魂の為に深くうめく Travailing Deeply In Prayer For Souls 「それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。」(2コリント4:3-4) 魂を救う働きの中で私が学んだ最も力強い教訓の一つは、祈りにおける継続の価値です。誰かの救いのためにとりなす時、あなたは産みの苦しみのうちに入り込むのです。つまり、御霊の内で深いうめきの中に祈ることです。祈りの場に入る前から、「今日の祈りは深いうめきだ」と、あなたはすでに知っています。なぜなら、あなたは魂の価値を知っているからです。 主イエスが「高価な真珠」を見つけた人の話をされた時、その人は全財産を売り払ってそれを得たと語られました。(マタイ13:45-46)これが、神にとって魂が意味するものであり、魂の救い主である私たちが理解する真実です。この理解こそが、私たちが祈りの中でうめき、魂が救われて神の王国に確立されるまで押し続ける原動力となるのです。 このようにとりなすとき、あなたは御霊にあって解放があるまで祈り続けるのです。キリストの愛があなたを駆り立てるのです。あなたは自己利益のために祈っているのではありません。あなたは結婚したい相手や商売相手のために祈って泣いているのではありません。あなたは純粋にその人の救いのために祈るのです。あなたは変えられるべき命、キリストのために得るべき魂への愛と御霊の重荷に駆り立てられているのです。 冒頭の聖句を再読してください。そこには、とりなしの場で、あなたが熱心に祈るよう示されています。すなわち、主を知らない者たちの心に、キリストの栄光の福音の光が輝き、闇と宗教と欺きに打ち勝つように熱心に祈らなければならないことを教えてくれます。 あなたは止まらないのです。あなたは彼らの心にある福音へのあらゆる抵抗が打ち砕かれ、彼らがサタンの支配から解放され、福音を聞くとき、救いを受けるために心を開くことを宣言するのです。ハレルヤ! 覚えておいてください、「…義人の真剣な(心からの、絶えない)祈りには非常な力が与えられるのです。[力強い働きをします。]」(ヤコブ5:16 AMPC)あなたの心のこもったとりなしの祈りが、彼らの救いに必要な力を働かせるのです。 祈り 愛する父よ、私を忠実と認め、和解の務めを託してくださり感謝します。主の愛に動かされ、失われた者たちのためにとりなし、情熱と神聖な切迫感をもって祈るよう促されています。そうするとき、彼らは闇から光へ、サタンの力から神のもとへと移されます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (コロサイ4:12)あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。 (ガラテヤ 4:19)私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。 (エペソ3:14-19)こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。 Source link

魂の莫大な価値 | 御言葉の実在

2025年11月17日(月) 魂の莫大な価値 The Immense Value Of A Soul 「また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。」(マタイ13:45-46) 主イエスは、天の王国を貴重な真珠を求める商人にたとえられました。そして、彼は一つの高価な真珠を見つけると、持っているものをすべて売り払ってそれを買い求めました。これは、神がたった一つの魂にどれほど大きな価値を置かれているかを示しています。すべての魂は神にとって深く大切なのです。なぜなら、それらはイエス・キリストの命に値するからです。 あなたは教会や交わり、またはセルグループを成長するために人々に手差し伸べるのではありません。単なる人数増ではなく、私たちは宝物を追い求めているのです。たとえ関心が薄く、メッセージに抵抗しているように見えても、あなたが祈り、フォローアップし、励まし、決して見捨てなかったあの一人は、天において高価な真珠と見なされているのです。 何年も前、私はまだ十代の少年で、13歳くらいでした。好奇心旺盛(おうせい)で気が散りやすく、多くのことに不安を抱えていました。しかし、私を見捨てなかった一人の紳士がいました。彼は私を追い続け、手を差し伸べ、集中力を保ち、主に仕えるよう助けてくれました。彼は神が私を神の御業に堅く立たせるために用いた一人でした。彼の粘り強さがなければ、私は決して奉仕の道に踏み出せなかったでしょう。 あなたのとりなしと継続的な関わりが、誰かに与える影響とはそういうものです。絶え間ないとりなしの祈りが成し遂げるものとはそういうものです。あなたが誰かをキリストに導いたり、新しいクリスチャンを安定化させたりするとき、それは世代を超えた影響を与え、運命を救うことになるかもしれません。ですから、一人の魂の価値を決して過小評価してはいけません。 主が迷い出た羊について語られた教えを思い出してください。主はこう言われました。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7)あなたが祈り、電話をかけ、訪ね、励ましているその一人一人は、単なる顔ではなく、天の喜びであり、計り知れない価値の真珠なのです。そして主イエスは、その一人を得るために全てを捧げる価値があると語られました。 祈り 愛する父よ、すべての魂に与えられた尊い価値に感謝します。私は主の目を通して見、主が世界へ差し伸べられたのと同じ愛と粘り強さで他の人に手を差し伸べます。私はすべての魂が大きな価値を持つ真珠であることを悟り、情熱と恵み、聖霊の力によって彼らを追い求めるよう励まされます。私を魂を救う者としてくださったことに感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ルカ15:4-7)「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 (ヨハネ3:16-17)神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 (2 テモテ 2:8-10)私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。 Source link

王国、畑と種 | 御言葉の実在

2025年11月16日(日) 王国、畑と種 The Kingdom, The Field, And The Seed 「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。」(マタイ13:24) 主イエスは、王国について驚くべき教えの中で、たとえ話を用いて深遠な真理を明らかにされました。その一例がマタイ13章の「麦と毒麦のたとえ」です。主はこう言われました。「天の王国は、畑に良い種を蒔いた人にたとえられる。」この「人」とは主ご自身であり、「良い種」は御国の子どもたちを象徴しています。主が後に説明されたように、「畑」とはこの世のことです。 これは驚くべきことです。主は良き種を、他人の畑ではなく、ご自身の畑に蒔かれたのです。これは、この世が主の畑であり、王国の一部であることを示しています。この世は主のものであり、今日私たちがこの世で何を見ようとも、いかに汚れているように見えても、その畑は依然としてイエスに属しているのです。 聖書は、人々が眠っている間に敵が来て畑に毒麦を蒔いたと記しています。毒麦とは悪しき者の子らです。主イエスは、この毒麦を蒔いた敵が悪魔であることを明確に説明されました。こうして私たちは、善と悪がなぜこの世で、さらには神の働きと結びついた場所でさえも並存(へいぞん)して活動しているのかを理解することができます。 30節で、同じたとえ話を説明しながら、主はこう言われました。「だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」この収穫とは世の終わりを指し、刈り取る者とは御使いたちです。定められた時に、毒麦は集められて焼かれ、しかし麦、すなわち義人は彼の倉に集められるのです。神に栄光をささげます!これはなんと慰め深いことでしょうか。 私たちは良き種で、王国の子たちであり、目的を持ってこの世という畑に植えられています。だからこそ、私たちはどこにいても大胆に立ち、「この世界は私たちのものだ」と宣言できるのです。なぜなら、この世界は私たちの主であり救い主、イエス・キリストに属し、私たちはその相続人だからです。私たちは主導権を握り、支配しているのです。私たちは輝き、義の実を結ぶためにここにいるのです。どんな反対や闇があろうとも、覚えておいてください。畑は主のものであり、主があなたをそこに植えたのです。ですから光として輝き、王として統治し、収穫をもたらしてください。ハレルヤ! 告白 私は光として輝き、義の実を結びます。私は闇の勢力を支配し打ち勝ちます。私はキリストの種だからです。主よ、この世代において私を栄光と影響力の器としてくださり、魂を勝ち取り、多くの人々を王国へ導かせてくださることを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (マタイ13:24-30, 38-40)イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」 …38畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。 (1 コリント10:26)地とそれに満ちているものは、主のものだからです。 Source link

私達の最高傑作 | 御言葉の実在

2025年11月15日(土) 私達の最高傑作 Our Magnum Opus 「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(ヨハネ4:34) 神が私たちに託された神聖な使命は、諸国民に救いをもたらし、神の王国を広げ、主イエスが始められた御業を完成させることです。聖書はこう記しています。「彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」(イザヤ書53:10)そしてマルコ16章15節で、主はこう言われました。「…全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」これが私たちの最高傑作であり、歴史上 最も偉大な業です。 私たちの前に歩んだ人たちがその業を始めましたが、私たちはそれを完成させるために召されました。今の世代は壮大なフィナーレのために選ばれ、私たちは必ず勝利するのです。ハレルヤ!私たちは教会史上 最も備えられた世代です。私たちは計り知れない祝福を受けています。私たちは知識、洞察力、講壇、資源、そして神聖な繋がりを受け取りました。必要な恵みは全て与えられています。言い訳は通用しません。私たちはメッセージを持ち、使命を持ち、手段を持っているのです。 あなたが仕事や旅行、個人的な成功に向けた長期目標を設定する際には、必ず福音の完全な宣教という個人的目標も設定することを忘れないでください。主もそうされました。主は言われました。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」主の焦点は、御自身の神聖な使命を成し遂げることにあったのです。 主は私たちに明確なビジョンを与えられました。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(マタイ24:14)そして、それを宣べ伝えるのは私たちです。私たちはそのために恵みと力を授けられており、決して揺るがないのです。福音はあらゆる国、あらゆる町、あらゆる共同体に浸透しつつあります。 福音に、あなたの時間とエネルギーと資源をもっと注いでください。あなたの愛の労苦が永遠の収穫をもたらすことを知り、心を尽くして献身してください。その献身を保ち、罪人のためにとりなし、愛に耐え忍び、あなたの経済的関与が王国のために永遠の実を結び続けるようにしてください。私たちは最終段階にいるのです。熱意を保ってください。御霊に身を委ね続けてください。主が言われたように、福音は全地を覆うことでしょう。ハレルヤ!  祈り 愛する父よ、私を忠実な者と認め、世界の諸国における福音の完全な宣教という終末の使命のパートナーとしてくださり感謝します。福音は私を通して勝利します。主ご自身が始められた大いなる御業を成し遂げるために教会が用いられる、主の恵み、知恵、そして神聖な戦略に感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ 4:34-37)イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。 (ローマ15:18-19)私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。 (マルコ 16:15)それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 Source link

世界を変えるために強められる | 御言葉の実在

2025年11月14日(金) 世界を変えるために強められる Empowered To Change Our World 「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49) 主イエスは、ご自身の死と埋葬、そして復活の前に、弟子たちと共に約三年間を過ごされました。その期間、弟子たちは主から学び、主と共に歩み、主の奇跡を目撃し、主のメッセージを聞き、主から直接の教えを受けました。彼らにはメッセージがあり、召命があり、訓練を受けていたのです。 しかし、彼らが宣教の歩みを始める前に、主は彼らにこの重要な指示を与えられました。「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)つまり、他のあらゆる点で準備は整っていたにもかかわらず、彼らにはもう一つ必要なものがあったのです。それは父なる神の約束でした。 その約束とは聖霊であり、聖霊なしでは彼らの努力は神聖な結果を生み出せなかったのです。しかし、御霊と共にあれば、彼らは力を発揮するのです。そして、まさにその通りになりました。ルカ2章14節から41節で、かつてイエスを否認したペテロ(ルカ22:61-62)が、ペンテコステの日に大胆に立ち上がり、三千人の人生を変えた力強いメッセージを伝えた様子を描いています。「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。…」 (使徒2:14) ペテロはそこで止まりませんでした。使徒の働き4章4節では、ヨハネと共に足の不自由な人を癒した後、再び大胆に説教し、聖書はこう記しています。「その言葉を聞いた者の多くが信じた。こうして、男の人だけで約五千人が加わった。」 これこそが効果的な働きなのです。神聖の速さです。聖霊を通して、ペテロの働きは急速に広がり、ごく短期間のうちに数千人が救われたのです。 今日、私たちも同じ聖霊を持ち、同じ結果をもたらすのです。神は私たちを効果的な証人として造られました。私たちはその力の場所に到達しようとしているのではありません。すでに力を授けられているのです。(使徒1:8)私たちは福音の有能な奉仕者として、この世界を変える力を授かっているのです。(2コリント3:5-6)私たちは世界中で影響を与え、人生を変えているのです。私たちは力と支配権と否定できない結果をもって、神が意図された通りに機能しているのです。 私たちは御霊の速さで動きます。聖書はこう記すからです。「主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」(ローマ9:28)これは力によるものでも、人の知恵によるものでもなく、生ける神の御霊によるものです。神の知恵、神の速さ、神の力が私たちの中で働いているのです。福音は勝利し、国々は開かれ、収穫は豊かです。そしてこれはすべて、神の栄光のためなのです! 祈り 愛する父よ、私の内に住み、私の人生と奉仕を実りあるものにしてくださる聖霊に感謝します。私は力と知恵と支配権のうちを歩み、あなたに栄光をもたらす結果を生み出し、神聖の速さで御国を前進させます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (使徒2:14-22, 37-41)そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。 (使徒1:8)しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 (2 コリント 3:5-6)何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。 Source link

あなたの内なる人の性質 | 御言葉の実在

2025年11月13日(木) あなたの内なる人の性質 The Character Of Your Inward Man 「すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、」(ローマ7:22) ローマ7章22節で、使徒パウロは「内なる人」という印象的な表現を用いています。その内なる人が本当のあなたです。美しい衣をまとった外なる人は、単に真のその人が住む家であるに過ぎません。ですからパウロが「内なる人によって、神の律法を喜ぶ」と言ったとき、彼は私たちに深く霊的な真実を示していました。あなたの内なる人は活動的で、自覚があり、神に応答するのです。 あなたの外見はすべて、内なる人の反映です。霊の世界であなたは他人として現れることはありません。そうではないのです!真のあなたは、あなた自身の姿なのです。ですから、あなたが霊の内で自分を見たとき、混乱や断絶はありません。「そうだ、これが私だ!」とあなたは言うでしょう。あなたの霊はあなたのアイデンティティを運んでいるのです。 誰かがこう尋ねるかもしれません。「例えば、もし私が肉体的に太っているなら、それは私の霊も太っているということですか?」 いいえ、違います。これは肉体の体格や解剖学的な話ではありません。霊の世界では、太った人や痩せた人を見るのではなく、ただあなた自身を見るのです。本当に重要な真の変革は、あなたの内なる人です。だからこそ内なる人を築くことに重点が置かれるのです。日々の一新は内なる人で起こるのです。 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4:16) 人生に変化を求めるなら、内側から始めてください。例えば、規律に悩む人は多いが、規律は外的な努力だけでは達成できません。それは内なる人から始まるのです。御言葉で霊を養い訓練すれば、外なる人生も整うのです。だからこそ私たちは「まず内側を変えよ」と言うのです。内なる人を変えれば、外なる人もそれに従うのです。 祈り 愛する父よ、御言葉を通して私の内なる人である真の自分を見分ける知恵を与えてくださり感謝します。私は内側から人格と力を育み、外なる人生は私の霊の卓越性によって形作られます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2コリント4:16 AMPC)ですから、私たちは勇気を失いません(完全に気力を失い、疲れ果て、恐れによって消耗することはありません)。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々(次第に)新たにされています。 (1ペテロ3:4)むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。 (エペソ3:16)どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。 Source link

エピグノシスの力 | 御言葉の実在

2025年11月12日(水) エピグノシスの力 The Power Of “Epignosis” 「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」(2ペテロ1:2) 使徒ペテロは、神の義と私たちの救い主イエス・キリストによって、同じ尊い信仰を得た者たちに語りかけています。そしてこう宣言しています。「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」 しかし、ペテロが言及しているのは、単なる知識ではありません。ここで用いられているギリシャ語「エピグノシス(Epignosis)」は、専門的な知識を指します。それは関係性と経験を通して得られる知識です。知識の対象や知られるものとの関わりを伴う知識です。あなたは知的に何かを知っていても、それがその対象と関わりを持っているとは限りません。 「エピグノシス」は、満ち足りた、深く、正確な知識です。サッカー選手を例に考えてみましょう。驚くべき熟練さでボールを操る選手たちがいます。まるでボールと一体化したかのようです。彼らはボールと友達になったのです。彼らにとってボールはもはや単なる革の切れではなく、人格を持った存在となるのです。 一方、丸い革のボールについて一般的な知識を持つ者を考えてみましょう。その人はボールの材質やサイズ、構造を知っているかもしれません。彼は設計の科学的根拠さえ説明できるかもしれませんが、ボールを扱うことはできません。彼はボールを掌握(しょうあく)する術を持ってないのです。 真の熟練は関係性によってもたらされ、「エピグノシス」こそが私たちを支配者とする知識なのです。エピグノシスは知る者と知られるものを結びつけるものです。それは御言葉を思い巡らすことを通して訪れるものです。すなわち、御言葉があなたにとって個人的なものとなり、理論から関係性へと移行する時です。これがあなたを確立し、あなたの人生に恵みと平安を増し加えるのです。だから、御言葉との関係を育んでください。御言葉を単なる情報以上のものとしてください。御言葉が生きた実在としてください。そうすればあなたの人生は花開し、あなたは周囲にとって驚嘆すべき存在となることでしょう。 祈り 愛する父よ、御言葉を通して主へのより深く親密な知識へと私を導いてくださり感謝します。今日、私は倍増した恵みと平安の中を歩み、御言葉の正確で完全な知識をもって機能します。私の霊は確立され、強められ、私の人生に対する主の完全な御心と一致します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨシュア 1:8 AMPC)この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄える[賢明に行動して、成功する]ことができるからである。 (コロサイ1:9-10)こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 (2ペテロ3:18)私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。 Source link