真実なアブラハムとともに祝福される | 御言葉の実在

2025年9月1日(月)真実なアブラハムとともに祝福されるBlessed With Faithful Abraham 「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:13-14) アブラハムへの祝福は、単なる概念ではありません。アブラハムへの祝福は福音の基盤です。多くの人は、アブラハムへの祝福を物質的な繁栄のみに限定して考えますが、その意味ははるかに深いものです。アブラハムへの祝福は、神の恵みの注ぎ出し、神の契約の慈しみであり、ヘブル語の「ヘセド(hesed」という言葉から翻訳されたものです。この祝福は、神聖の恵み、実り、支配権、そして最も重要なこと、聖霊の約束が含まれます。 神がアブラハムを召された時、こう言われました。「あなたを祝福し、…地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。」(創世記12:2-3)これは神の福音の預言的な宣言でした。それは、信仰を通して全人類に神の愛と恵みを注ぎ出すという神の計画の知らせでした。使徒パウロは、この祝福がイエス・キリストを通して異邦人にもたらされたことを明確にしました。 したがって、あなたがキリストにあるなら、あなたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人です。(ガラテヤ3:29)あなたは、神がアブラハムに数千年前になされた約束の成就なのです。その祝福には、義認、義、聖霊、そして神の満ち溢れる恵みへの神聖なアクセスが含まれています。 聖書は言います、「そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:9) 神がアブラハムに約束をされた時、それはアブラハムの子孫、すなわちキリストを指していました。「ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は『子孫たちに』と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。」 (ガラテヤ3:16) あなたがキリストを受け入れた時、あなたは約束の聖霊で証印を押されました。その証印はあなたが神の所有物であることを示し、アブラハムの契約のすべての祝福と恵みにアクセスする権利を保証します。「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」(ガラテヤ3:29)この意識で歩んでください。あなたは祝福されることを目指しているのではなく、信仰あるアブラハムと共に祝福されているのです。そう宣言してください。そのように生きてください。祝福を至る所に広めてください。ハレルヤ! 告白私はアブラハムの子孫であり、キリスト・イエスにおいて祝福され、大いに恵まれた者です。アブラハムへの祝福は、私の霊、魂、そして体の中に働いています。私はキリストにおいて神が与えてくださったすべてのものにアクセスできます。私は今日、神聖の健康、繁栄、勝利の中を歩んでいます。イエスの名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(創世記12:2-3) そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 (ガラテヤ3:7-9) ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

人間の形をとった神 | 御言葉の実在

2025年8月31日(日)人間の形をとった神God In Human Form 「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」(ローマ1:4) 聖書は、イエス・キリストが神の御子であると教えています。これは驚くべき声明です。なぜなら、イエスご自身がそう言われたからです。また、他人がイエスを「神の御子」と呼んだ時、主は否定せず、むしろそれを肯定したからです。しかし、「神の御子」とは具体的に何を意味するのでしょうか?私はこれまでに何度も説明してきましたが、繰り返し述べる価値があります。 「神の御子」とは、文字通りの意味で、神によって生まれた人を意味するわけではありません。「「神の御子」とは、神が人間の肉体をまとったことを意味します。したがって、イエスが「私は神の子である」と述べた時、周囲のユダヤ人はその意味を正確に理解していました。彼らは怒ったのです。なぜなら、「神の子」という言葉が、神が人間となることを意味するからでした。 そのため、彼らはイエスを冒涜の罪で非難し、「あなたは人間であるのに、自分を神と同等にするのか」と叫びました。しかし、それがまさにイエスの本当のことであり、イエスの復活がその証拠です。神は人間となられ、私たちを救いのために、肉体をまとって私たちの間に住まわれました。そうして私たちも神の子たちとなるためです。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13) 主イエスは、私たちが主のように生き、神と交わるために、私たちに救いと永遠の命を与えてくださいました。今、私たちは神の愛する子として神と関係を持つことができます。私たちは神と話すことができ、神も私たちと話します。主は私たちを神と同じ階級に迎え入れ、私たちをご自身のようにされました。1ヨハネ4章17節には、「私たちもこの世にあって、キリストのような者であるからです。」とあります。今や私たちも神の子なのです。「…事実、いま私たちは神の子どもです—御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。…」 (1ヨハネ3:1) ハレルヤ! 祈り愛する父よ、イエス・キリストが神の御子として啓示されたことを感謝します。イエスは、人の肉体を持って現れた神であり、その復活を通して、父は私に永遠の命と父との一体を授けられました。私はこの神聖な関係を意識して生き、父との大胆なつながりと交わりの中を歩んでいます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(ヨハネ1:14) ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 (ヨハネ10:30-36) わたしと父とは一つです。」 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。 もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。 (1テモテ3:16) 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」

あなたは新しい命と性質を持っている | 御言葉の実在

2025年8月30日(土)あなたは新しい命と性質を持っているYou Have A New Life And A New Nature 「しかし私たちは知っています。律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、…」(1テモテ1:8-9) 聖書に、律法とその戒めが廃止されたと読んだことがありますか?エペソ2章15節には、「ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人を造り上げて、平和を実現するためであり、」とあります。したがって、クリスチャンには、「盗むな」や「殺すな」といった戒めはもはや適用されません。 では、盗んでもいいのでしょうか?いいえ、絶対にダメです!これらの戒めが適用されない理由は、盗みや殺人が許されているからではありません。むしろ、キリストにおいて、あなたは新しい命、つまり盗みや殺人をしない新しい性質を得たからです。あなたはより高い階級に属しているのです。1コリント6章11節にはこうあります:「…主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」 冒頭の聖句で読んだように、律法は義人のために作られたものではありません。キリストにおいて、あなたは神の義です。したがって、律法はあなたのためのものではありません。律法はイスラエルの子孫に与えられたものですが、彼らは律法を守れなかったのです。彼らは戒めを従うべき法律と見なし、命として受け止めませんでした。しかし、神の言葉は命です。キリスト教では、私たちは御言葉によって生まれたので、御言葉を生きています。私たちは御言葉の命を持っているのです。 例えば、主イエスが「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る1つ1つのことばによって生きる」と言われたとき、 主はそれを守るためではなく、ご自身の義の性質を説明されたのです。また、「あなたは主なるあなたの神を試みてはならない」と言われたときも、それは主のアイデンティティの説明でした。同様に、あなたが「殺してはならない」や「盗んではならない」と読むとき、それはあなたの義とされた性質の説明なのです。 新しく生まれたあなたは義であり、聖なる者です。したがって、盗むことや殺すことはあなたの性質に矛盾します。 コロサイ3章9節から10節に書かれている通りです。「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」 嘘をつくなと言われるのは、あなたの性質があるからです。あなたは神から生まれ、真理の御霊があなたの内に住んでおられます。神をほめたたえます!あなたは、神に倣って、義と真の聖なるもので創造された新しい性質を持っているのです。 祈り愛する父よ、キリスト・イエスにおいて私を義とされたことを感謝します。私はキリストにおける私の本質の理解の中を歩んでいます。私は、キリスト・イエスにおける命の御霊の法則に支配されています。私は義の中を歩み、キリストの人格を自然に現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(エペソ4:20-24) しかし、あなたはキリストのことを、このようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。 (2コリント5:17 &21) 17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 21神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 (ローマ6:4) 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

あなたの信仰を成長させ、用い続けよ | 御言葉の実在

2025年8月29日(金)あなたの信仰を成長させ、用い続けよKeep Building And Using Your Faith 「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、」(ユダ1:20) 信仰は火と同じように、維持されなければ自然に消えていく傾向があります。火は燃料を消費し、燃料を補給し続けないとやがて消えてしまいます。信仰も同じです。あなたは自分の信仰を築く責任があります。信仰を育てるためには栄養を与え、強固に保つためには常に活用し続ける必要があります。 信仰を養うためには、神の言葉を霊に受け入れることが必要です。なぜなら、信仰は聞くことから始まるからです。(ローマ10:17)しかし、信仰を強固にするためには、それを用いることが必要です。つまり、信仰を働かせることです。したがって、信仰の火を保つためには、常に「燃料」を添加し続ける必要があります。その「燃料」とは、神の言葉です。霊に神の言葉を絶えず与え続けることが必要です。 信仰は一定のレベルで止まるべきではありません。冒頭の聖句は、最も聖なる信仰の上に自分自身を築き上げることを語っています。詳訳聖書(Amplified Classic)では次のように訳されています。「しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に[基づいて]自分自身を築き上げ[進歩し、建物のようにますます高くなり]、聖霊によって祈り、」とあります。これは、あなたが到達した信仰の最高レベルが終わりではないということです。その上にさらに築き上げ続ける必要があります。 信仰の旅路が、かつて大いなる信仰で歩んだという記憶に過ぎないものにならないようにしましょう。そうではいけないのです!クリスチャンの人生は、栄光から栄光へ、恵みから恵みへ、信仰から信仰へと、ますます増し加わる信仰なのです!キリストのうちにあり成長するとは、信仰が強くなることです。あなたは信仰の父たちと同じ信仰を持っています。試練を通って深まり、証明され、勝利した信仰です。常に勝利する信仰を持っているのです。ハレルヤ! 告白私の信仰は強く、常に勝利します。なぜなら、私はそれを働かせ、常に御言葉で養っているからです。私は永遠の勝利の中を歩んでいます。天の父よ、今この瞬間も、聖霊の中で祈りながら、最も聖なる信仰の上に自分を築いていることを感謝します。アーメン。 参照聖書(ローマ10:17) そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 (使徒20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 (ヤコブ2:18-26) さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。 ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。

信仰の大盾を使用せよ | 御言葉の実在

2025年8月28日(木)信仰の大盾を使用せよUse The Shield Of Faith 「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(エペソ6:16) 時には、心を悩ませる考えが頭をよぎり、不安や焦りを引き起こすことがあります。このような状況に直面したとき、多くの人は単に感情的になったと思いがちですが、彼らが気づいていないのは、敵が彼らの感情を悪用しようと、否定的な思いで思考を攻撃しているということです。これらは火矢やミサイルのようなものです。 このようなネガティブな考えから生じる感情を放置すると、やがて不安感や絶望感に発展する可能性があります。これらは、敵が思考を通して混乱を引き起こそうとしている兆候です。しかし、エペソ6章16節にはこう記されています。「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」 暗い考えと戦う時、信仰の大盾を用いましょう。神の御言葉を積極的に口から吐き出して宣言しましょう。信仰は声に出して語り、働かさなければなりません。次のように宣言すべきです。「私は不安、心配、緊張、不安定さを拒否する。私は神から生まれた者であり、サタン、世界、その否定的で衰弱させる影響力を打ち破った。」 もし、敵が思考に投げかける矢に対して、あなたの信仰を積極的に使わなければ、その攻撃は思考から体へと広がっていく可能性があります。だからこそ、神の御言葉を用いて、すべての否定的な考えや悪い想像を切り捨て、追い出すために素早く行動しなければならない理由です。あなたの霊、魂、体、思考は主のものであり、聖霊によって聖別されていると宣言してください。 あなたの大胆で信仰に満ちた宣言は、敵のあらゆる攻撃を克服します。信仰の大盾は、悪しき者の燃える矢をすべて消すのです。今後、恐ろしい考えが思考に浮かんだり、体に異常が現れたり、腫れや硬直、または何らかの異常を感じた場合、信仰に満ちた言葉でそれを打ち滅してください。あなたの言葉は普通の言葉ではないのです。 聖書は、神の言葉または「レーマ(Rhema)」(ギリシャ語)である「御霊の剣」について語っています。(エペソ6:17)「レーマ」は発せられた言葉です。あなたが口にする神の言葉です。したがって、試練に直面した時、心配したり動揺したりせず、キリストにおける勝利を宣言してください。2コリント2:14には「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、…」とあります。これがキリストにおける勝利の生涯です。私たちは敵に対して言葉を用います。私たちは信仰に満ちた言葉によって、聖霊によって勝利しているのです。神に栄光をささげます! 祈り愛する父よ、敵の燃える矢を消す信仰の大盾を感謝します。私は信仰に満ちた告白により、聖霊によって勝利しています。私は聖霊によって聖別され、活力に満ち、勝利、力、神の健康のうちを歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(2コリント10:4-5) 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、 (箴言4:20-23) わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。 (エペソ6:13-18) ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

人々の魂の為に戦う | 御言葉の実在

2025年8月27日(水)人々の魂の為に戦うContend For Their Souls 「あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。」(コロサイ4:12) 教会で正しい生活を送っていない人や、教会に来なくなった人を見かけた時、あなたはどうしますか?状況に嘆いたり、彼らを非難したりするのではなく、彼らが回復するまで祈りによってとりなしてください。彼らの魂のために祈り、戦ってください。すべての魂は神にとって価値あるものであり、聖書は神がすべての人が救われ、真理を知ることを望んでおられると教えています。 これが、牧師やリーダーが教会に来る人々を扱う際に慎重でなければならない理由の一つです。一部の人は厳しく、人々を教会から追い出すようなことを平気でします。しかし、真の魂の救い手は違います。あなたは、魂を救うために必要なものが何であるかを理解し、彼らを守るために必要なすべてのことを行うからです。 私は、一人の魂のために泣きながら、その魂がキリストに導かれ、信仰に戻るまで絶えまなくとりなしの祈りを捧げました。これが、私たちが適切な時に、適切な方法で、適切なことを祈らなければならない理由です。そうすれば、私たちは勝利します。教会はとりなしの祈りに時間を優先すべきです。 エパフラスは、冒頭の聖句で、自分の必要のために祈っていたのではありません。他の人のために祈っていたのです。彼はとりなし者でした。彼はすでに神の栄光の中を歩んでいましたが、他の人々もその栄光の中を歩み、人生における神の計画の完全な状態に達するように祈っていたのです。 これがあなたも毎日すべきことです。とりなし祈りをし、彼らの理解の目が神の王国の現実へと開かれ、神の御心に関する知識で、知恵と霊的な理解で満たされるように祈ってください。ハレルヤ! 祈り愛する父よ、私は熱心さと他の人の霊的成長と回復のために、献身的に祈っています。したがって、迷い出た者たちが速やかに回復し、彼らの情熱が霊的なものに注がれ、決して怠惰や鈍さではなく、霊的に熱心になり、主に仕えるようにとりなし祈りをします。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(ヤコブ5:16)ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。 (1テモテ2:1) そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 (エペソ3:14-19) こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

平安で、静かな一生への青写真 | 御言葉の実在

2025年8月26日(火)平安で、静かな一生への青写真The Blueprint For A Quiet And Peaceable Life 「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(1テモテ2:1-4) 私たちが社会において敬虔と正直さをもって平和と繁栄を享受するために、神の言葉は私たちが何をすべきかを示しています。私たちは、上記の冒頭の聖書箇所にある通り、祈らなければなりません。そうすれば、指導者たち、機関のトップ、権威ある立場にある者たちの救いを目撃することでしょう。 その結果、国は繁栄と平和で栄えるでしょう。最高の戦略家である聖霊は、これらのことにどのように影響を与えるか正確に知っておられます。聖霊は指導者たちを罪に気づかせ、神の王国へ導き、正しいことを行わせる方法を知っています。あなたが都市、機関、大統領とその閣僚、州知事、立法者、委員、最高裁判所の判事、裁判官などために祈り、とりなす時、その影響は計り知れません。これは神の計画であり、大きな収穫をもたらすでしょう。 誰にも、私たちが国々のために祈りすぎていると説得させないでください。私たちの祈りは運命を形作り、神の御心を成し遂げています。これは、神が定められた静かで、平穏な一生の青写真であり、偶然や政治改革によってではなく、真理を信じ、知るクリスチャンの意図的な祈りによって実現されるのです。  したがって、とりなしの祈りの立場に就いてください。福音が広がり、神の御心が人々の心に確立される中で、神の義、平和、繁栄があなたの街に浸透する通り管となってください。ハレルヤ! 祈り愛する父よ、効果的な祈りの方法を示してくださり、ありがとうございます。私は祈りの場に立ち、すべての人のため、指導者や権威ある者たちのためにとりなし、彼らが救われ、真理の知識に導かれるように祈ります。私は福音が大国で自由に広まり、人々の心が義に傾くことを宣言します。魂の大きな収穫を感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン 参照聖書(エレミヤ29:7) わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」 (ルカ18:1) いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。 (1テモテ2:1-4 NIV) 1さて、次のことを勧めます。すべての人のために、神のあわれみが注がれるよう熱心に祈り、とりなしなさい。そして、やがて彼らにも恵みが与えられると信じて、感謝しなさい。また、すべての重い責任を負っている人たちのために祈りなさい。それは、私たちが主を深く思いながら、平安のうちに落ち着いた一生を過ごすためです。そうするのはたいへん良いことで、救い主である神に喜んでいただけることです。神はすべての人が救われて、真理を理解するに至ることを切に望んでおられます。

人間の霊について理解する | 御言葉の実在

2025年8月22日(金)人間の霊について理解するUnderstanding The Human Spirit 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(1テサロニケ5:23) 「潜在意識」という表現は、人間の霊を指す際に頻繁に使われている人々がいます。しかし、命の超越的な概念を考える人々にとって、潜在意識は、人間が部分的にしか意識していない状態を超えているのです。潜在意識は、むしろ、探求されていない、あるいは探求することができない人間の性質の別の側面を指しているのです。 実際、彼らの潜在意識の状態に関する詳細を分析すると、それは実際には人間の霊を指しているのです。例えば、2コリント4章16節で、パウロはそれを「内なる人」と呼んでいます。「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」 また、使徒ペテロは、第一ペテロの手紙で、それを「心の隠れた人」と呼んでいます。「むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」(1ペテロ3:4) 人間の真の性質を理解していない人々は、人間の霊を「潜在意識」と呼んでいます。聖書は「潜在意識」については語っていません。むしろ、人間の三つの本質である霊、魂、体を明らかにしています。聖書を学ぶと、一方では霊と魂が同義語として用いられ、見えない内なる人、すなわち身体の幕屋の中に隠された見えない人を指すことがわかります。 しかし、より具体的な意味では、霊と魂は異なる概念です。霊は実際に「内なる人」を指し、魂は霊の道具なのです。魂は霊に対して、脳が体に対して持つ役割を果たします。人間の霊は、魂を通して世界を認識し、相互作用します。魂は内なる人の霊的な感覚を宿し、それによって霊的な実在と自然的な実在の両方と関わることを可能にします。本質的に、人間の霊はあなたの存在の核心です。それが本当のあなたであり、神が住まわれる場所なのです。 祈り愛する父よ、キリストにおける私の真の性質を理解させてくださり、ありがとうございます。私の霊は神に対して生き、私は魂を通じて、私の中に存在する神の神聖な命の実在を現しています。私は神聖な性質の意識の中で歩み、私の人生における神の目的を果たします。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(箴言20:27) 人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。 (ヨブ 32:8) しかし、人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える。 (1 テサロニケ5:23) 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

聖霊に完全に服従する | 御言葉の実在

2025年8月21日(木)聖霊に完全に服従するBe Completely Yielded To Him 「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神のことばを語ったのだからです。」(2ペテロ1:21) 聖霊に服従すると、聖霊はあなたを励まし、あなたの行動と言葉を導かれます。私はそのような体験をした最初のあかしを覚えています。聖霊を受けた後、家に帰ったその日、私はいつもの家族での礼拝に集まりました。普段通り、それぞれが聖書の節を読み、その後、父が祈りをリードするか、私たちの一人にその役目を任せる形で進められました。 その日、聖書の朗読が終わった後、父は私の方を向いて祈りをリードするように言われました。私が祈りを始めようと口を開いた瞬間、突然、異言の言葉が飛び出しました。それは大きく、速く、私は聖霊に圧倒され、預言し始めました。家族での祈りの時間では、そんなことは一度もありませんでした。別の機会には、私は教会の後の席に座っていました。当時、私はまだ若く、10代でしたが、集会の最中に、神の御霊が私の内に火を点けるのを感じました。気づけば、御霊は私を立たせ、私は異言で語り、預言し始めました。教会全体が静まり返りましたが、誰もが感動し、励まされました。私が終わると、主任牧師が会衆全体を激しい祈りの時間に導きました。 神の御霊があなたを動かすような瞬間があります。預言者エゼキエルは言いました、「しかし、霊が私のうちに入り、私を立ち上がらせた。…。」(エゼキエル3:24)あなたは聖霊と共に、そのような栄光に満ちた瞬間を毎日体験できるのです。鍵は、自分を聖霊に服従することです。あなたの中にある聖霊の火は常に燃え続けています。聖霊はあなたの内に、そしてあなたと共に永遠にいるのです。 ヘブル13章5節で、主は言われました。「…わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」そしてマタイ28章20節(NKJV)でも言われました。「…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」あなたが福音を伝えるために、病院、刑務所、市場に行きたいと衝動を感じたなら、それは聖霊があなたを動かされていたのです。あなたがクラスメート、隣人、職場の同僚、家族、そして道で出会った見知らぬ人々に福音を伝えたいという思いが湧いてきたなら、それは聖霊があなたを動かされたからです。 これが今日、あなたの人生における聖霊の働きです。聖霊はあなたが父の御心に従って語り、行動する力を与えてくださいます。あなたが聖霊に完全に従う時、聖霊の力と知恵があなたを通して現れます。あなたは、この地上で主のご計画と目的を成就するための聖霊の器なのです。 祈り愛する父よ、私の中に住み、大胆さと力を持って主の言葉を語るように私を動かす聖霊に感謝します。私は常に聖霊の導きと神聖の啓示に服従し、キリストにおける主の完全な御心と私の召命を成し遂げるために常に動かされています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(エゼキエル2:1-2) その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」その方が私に語りかけられると、すぐ霊が私のうちにはいり、私を立ち上がらせた。そのとき、私は私に語りかけることばを聞いた。 (エレミヤ20:9) 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。 (使徒 1:8 AMPC) 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力[能力、卓越性、権力]を受けます。」

何も私達を止めることはできない | 御言葉の実在

2025年8月20日(水)何も私達を止めることはできないNothing Can Stop Us 「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30-31) 教会とイエス・キリストの福音に反対する者たちがいます。彼らは反キリストの霊を持つ人々です。彼らは神の真理を沈黙させ、真理を大胆に宣べ伝える者を妨げる策略を練っています。しかし、私たちは黙っていられません。福音宣教の必要性が私たちに課せられています。(1コリント9:16)福音は余りにも尊く、喜びは余りにも大きすぎて、私たちだけで抱えておくことはできません。 敵の怒りがどうであれ、関係ありません。いかなる悪法、脅迫、システム、悪しき構造など、何物も私たちを阻むことはできず、真理を抑圧することもできません。神の王国の進展を止める力は彼らにはありません。これは、詩篇の作者の言葉が思い起こされます。「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。『さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。』天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。」(詩篇2:1-4) イザヤ54章17節には「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。」とあります。主イエスは、マタイ16章18節で「…わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」と述べられました。教会は前進し続けています。地上や地獄から来るいかなる力も、それに対して勝利することはできません。私たちが主にひざまずき、戦い続ける限り、何も私たちを止められません。それが私たちの戦略であり、力であり、優位性であります。 反対が起きても、私たちは心配したり、恐怖に屈したりしません。祈りを通して、神からの知恵、洞察力、解決策を受け取ります。私たちの内なる人は、主の御霊によって力強く強められます。この終わりの時代において、福音をためらわずに宣べ伝えましょう。今年、私たちはすべての国々に福音の宣教を完了しています。私たちは、御霊と力の示しの中で、確信を持って福音を宣べ伝えています。何ものも、誰も私たちを妨げることはできません。 祈り愛する父よ、大胆さと信仰をもって、聖霊と力の現れによって、福音宣教を行う特権、機会、恵み、力を与えてくださり、感謝します。主の御言葉は国々から勝利し、義がすべての人々に降り注ぎます。主の子たちは、今日、世界中で福音宣教を行い、多くの者の救いのために喜びに満ちています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書(イザヤ 54:17 AMPC) しかし、あなたがたに敵対するいかなる武器も栄えることはなく、裁きにおいてあなたがたに敵対するあらゆる舌は、あなたがたが間違っていることを示すであろう。これ[平和、義、安全、敵対に対する勝利]は、主のしもべたち[主の理想的なしもべが再現される人々]の受け継ぐものであり、これこそ、彼らがわたしから得る義、あるいはあがない[これこそ、わたしが彼らの義として彼らに与えるもの]である、と主は言われる。 (使徒 26:14) 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』 (使徒 2:44-47) 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。