聖書による慰め | 御言葉の実在

2025年10月14日(火) 聖書による慰め The Comfort Of The Scriptures 「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ15:4) 神は私たちを深く愛しておられ、聖書を個人的な文書として与え、私たちに送ってくださいました。それは聖書の慰めを通して、私たちが希望を持つためです。 だからこそ、私は聖書を繰り返し学ぶことを愛しています。学ぶ中で私は方向性を見出し、信仰を受け取り、希望に満たされます。未来を大きな期待を持って見つめます。世の中で何が起ころうとも、私は御言葉に集中します。聖書の慰めを通して希望を持つからこそ、私は岩のように固く決意を固めるのです。 聖書は私にとって生きているもの、キリストの生ける声となりました。例えば「私の内におられる方は、この世にいるあの者よりも力があるからです。」と言う時、私は単に聖句を引用しているのではありません。神が私の歩みのために与えてくださった生ける声に応えているのです。神は、私たちが毎日物理的に御姿を見られないことをご存知です。私たちが直面する重圧や、神が明らかに現れてくださることを願う時をご存知です。しかし、神は、それ以上に確かなもの、つまり、「主の言葉」を与えてくださいました。 神はあなたが御言葉に頼ることを望んでおられます。なぜなら御言葉は決して失敗しないからです。イザヤ55章11節はこう言います。「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」 さらにマタイの福音書24章35節で、主イエスはこう言われました。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。」 これは神の言葉が最も確かな基盤であることを示しています。ヨシュア記21章45節が証言するように、神の言葉は一つとして失敗したことも、失敗することもないのです。「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」 さらに聖書は、人生の諸事において賢く対処する力を与えます。(ヨシュア1:8)だからこそ、私たちは御言葉を思い巡らすことを強調するのです。あなたが人生で成し遂げるべき全ては御言葉に込められています。ですから御言葉に留まってください。御言葉によって生きてください。 祈り 愛する父よ、聖書という祝福、すなわち私を導き、励まし、強めてくださる主の生ける言葉に感謝します。聖書の慰めを通して、私は希望を持ちます。知恵と信仰と、輝かしい未来への大胆な期待をもって歩みます。主の御言葉は私の日々の光であり、私はその真理によって生きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2テモテ3:15-16) また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 (ヨシュア記1:8 ) この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 (詩篇119:105) あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 Source link

物事を呼んで存在させることを学ぶ | 御言葉の実在

2025年10月12日(日) 物事を呼んで存在させることを学ぶ Learn To Call Things Into Being 「あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。」(ヨブ記22:28) 聖霊の力によって、あなたが望むものは何でも呼び起こせることをご存知でしょうか?今この瞬間に必要なものを、あなたが受け取る力を持っているのです。決して「手に入らない」と思うものに欠けていると自らを捉えてはいけません。代わりに、物事を存在へと呼び起こすことを学んでください。 創世記1章で神が万物を創造された時、この同じ原理を用いられたのを見ることができます。神はそれらを呼び起こされたのです。そして、ローマ4章17節で、使徒パウロは、神がアブラハムに語った深遠な言葉に私たちの注意を向けさせます。「「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、」これはアブラハムに子がいない時に神が語った言葉です。しかし、神は約束をしていたのではなく、すでに実現している事実を宣言していたのです。 しかし神はアブラハムに約束をされたのではなく、すでに存在していることについての宣言をなさったのです。 さて、考えてみてください。アブラハムには子がなく、ほぼ百歳でした。彼は最初、不思議を抱き、「百歳の者に子が生まれるだろうか」(創世記17:17)と言いました。しかし、その後、彼は神を信じることを選び、不信仰によって神の約束を疑うことなく、信仰によって強くなり、神を賛美しました。彼は存在しないものをあたかも存在するかのように呼び出したのです。 信仰とは、物質界に現れる前に、霊的な領域で見るものを宣言することです。では、今あなたの人生に何を望みますか?それを口にし、主イエスの御名によって呼び出してください。それが自由にあなたのもとにやって来ると宣言してください。それはすでに霊的な領域で拡散された形で存在しています。あなたが呼び出すとき、それは確かな形となって集まり、あなたのものとなるのです。 聖書は、あなたは語ることを必ず所有すると言っています。(マルコ11:23)あなたが何かを宣言すれば、それはあなたに確立されるのです。それが御霊の法則です。宣言し、呼び出し、目の前で確立されるのを見てください。 祈り 愛する父よ、私の言葉に創造的な力と効力があることを感謝します。私は神の権威と支配のもとで働き、物事を存在へと呼び起こし、目に見えない現実を現わさせます。私は恵み、豊かさ、健康、勝利を宣言し、あなたの完全なる御心の完全な体験の中を歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ロー マ 4:17-21) このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 (マルコ 11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 (2コリント 4:13) 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 Source link

すべてはキリストの内にある | 御言葉の実在

2025年10月11日(土) すべてはキリストの内にある Everything Is In Him 「あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。」(詩編138:2) 一部のクリスチャンは、旧約聖書から学んだ神の御名の様々な啓示に基づき、アドナイ・イエル、ヤハウェ・ラファなどの名を用いて祈ります。しかし重要なのは、それらの旧約聖書の御名が示すすべての力、栄光、権威が、イエスに完全に現れていることを理解することです。イエスを知っているなら、他のすべての御名は必要ありません。 神性のすべてが、完全かつ永続的にイエスに宿っているのです。聖霊は使徒パウロを通して、コロサイ2章9節でこう明らかにしています。「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」 また、ヨハネの福音書1章1節、14節にはこう記されています。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。…ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」 主イエスは生ける言葉であり、冒頭の聖句には、神が御名を現すあらゆる啓示よりも御言葉を高く掲げられたとあります。その御言葉こそがイエスです。癒しを求めてヤハウェ・ラファを呼ぶ必要はありません。イエスがあなたの癒し主です。供給を求めてアドナイ・イルエを呼ぶ必要もありません。イエスがあなたの供給者です。彼はそれらの御名のすべてを体現し、成就する方です。 ですから、主イエスがどのような方であるかを知ってください。主は言われました。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)主を知ることは神を知ることです。主こそがすべてですから、主を見いだせばすべてを見いだしたのです。永遠の命、神の健康、癒し、繁栄、平安、義、知恵、力も、すべてが主の中にあります。主の御名に永遠の栄光がありますように! 祈り 愛する父よ、イエス・キリストという御姿に御栄えを現してくださったことを感謝します。イエスは私にとってすべてです。私の命、私の義、私の平安、私の健康、そして私の供給者です。私は御子の満ち溢れる祝福と王国の中に生きています。なぜなら御子が私の中に生きておられるからです。イエスの御名によって祈ります。ハレルヤ! 参照聖書 (コロサイ 2:9 ) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。 (ヨハネ 1:1-3) 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 (コロサイ 1:15-19) 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 Source link

イエスの主権を宣言する | 御言葉の実在

2025年10月10日(金) イエスの主権を宣言する Proclaiming The Lordship Of Jesus 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9) イエスの主権を宣言することが、あなたを救いへと導くのです。 イエスが死なれ、神がイエスを死者の中からよみがえらせたと心で信じる人々はいますが、彼らは自分の人生においてイエスの主権を積極的に宣言したことがありません。それゆえ、イエスがもたらした救いは彼らの人生で活性化されないのです。 聖書が示す救いの受け方は、御言葉に明確に記されています。「では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:8-10) あなたは イエス・キリストが神の子であることを心から信じ、あなたの人生における主の主権を告白したのです。それがあなたを救いへと導くのです。信じるだけでは不十分です。実際、使徒ヤコブは、真の信仰の重要性、特にそれが行動を通して示される方法について語る中で、こう言っています。「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」(ヤコブ2:19) ですから、あなたが信じていることを行動に移さなければなりません。イエスの主権を告白することによって、救いは現実のものとなるのです。 これがまさに、一部の人々がイエスを信じながらも生まれ変わることができない理由を説明しています。その告白がなければ、彼らは地獄に行くのです。ですから、伝道や宣教活動において、特にこの終わりの時代には、この点を強調してください。イエスの主権を宣言することは、人々の人生に対するサタンの支配が断ち切られ、彼らを闇から神の愛の御子の王国へと導かれるのです。 祈り 愛する父よ、御言葉の力と、イエス・キリストの主権による救いの啓示に感謝します。イエスは私の人生の主です。私はイエスの栄光ある王国の中で、義と勝利のうちに永遠に治めるのです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ロー マ10:8-10) では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 (ピリピ 2:9-11) それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 Source link

新しく義とされた存在 | 御言葉の実在

2025年10月9日(木) 新しく義とされた存在 A New, Justified Being 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17) 私たちが「イエスが全世界の罪人のための代価を支払った」と言う時、これは一般的な意味での表現だと理解すべきです。この言葉にクリスチャンは含まれません。なぜならクリスチャンは罪人の中に含まれないからです。クリスチャンは別の種族の存在で、この世のものではありません。彼らはイエス・キリストの死と埋葬と復活を通して新しい命に入ったのです。 イエス・キリストを信じ、その主権を認めた時、あなたは新しく創造されたのです。新しい命をもって生まれ変わったのです。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4)これがキリスト教の本質です。あなたは復活から生まれた新しい被造物であり、新しい命を持って歩む者なのです。 その結果、あなたは義と認められた者として歩みます。義と認められるとは、どういう意味でしょうか?それは無罪と宣告されたものであり、すなわち免罪されることを意味します。罪ある者はキリストと共に十字架で死にました。そしてイエスが復活された時、新しいあなたが生き返ったのです。この新しいあなたは、義と真の聖さをもって創造されたのです。 ローマ4章25節は主イエスについて「…私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」と記しています。神に栄光をささげます!あなたが義と認められるのは、あなたが新しく造られた者だからです。これが、私たちが緊急に福音を宣べ伝える理由です。私たちは世界中の人々がキリストのもとに入り、新しく造られた者となることを願っているのです。私たちは、彼らが義と認められたことを知り、キリストにおいて過去がない、新しい種族であることを知ってほしいのです。 ヤコブ1章18節はこう言います。「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。」ここで「いわば被造物の初穂 」の表現に注目してください。あなたは異なる種族、神性の性質を持つ存在であり、聖別され、栄光に輝き、義と認められた者なのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、キリストにある新しい命に感謝します。私は義とされ、神に生きている新しい被造物です。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなりました。私は神性の性質を自覚して歩み、行く先々で神の栄光と義を現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ 4:23-25) しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 (使徒13:38-39) ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。 (1 ペテロ 1:23) あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 Source link

御霊によって見る | 御言葉の実在

2025年10月8日(水) 御霊によって見る See By The Spirit 「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。」(黙示録4:1) 人生において、あなたが見るものが生き方を決めるのです。ですから霊的に見ることは重要なことです。御霊によって見るのです。御霊による見方とは、御言葉を通して見ることであり、信仰の目で見ることです。多くの人々が恐れや不安に支配されているのは、谷底から物事を見ているからです。人間的、あるいは地上の視点で物事を見ているのです。 しかし聖霊を通して御言葉で見る時、あなたは癒されようとする病人も、金持ちになろうとする貧しい人でもないことに気づくのです。あなたは敗北者として勝利を得ようとする者でもありません。むしろ、あなたは神の栄光であり、キリスト・イエスにおける勝利者であり、神性の卓越性の完全な現れです。ハレルヤ! 神の言葉は霊的な高みへとあなたを導きます。それはあなたの視点と視野を日常的なものから引き上げ、神の視点から物事を見させてくれるのです。ヨハネが体験したのはまさにこれでした。彼は「ここに上って来なさい。」という声を聞き、そうしたとき、霊において神聖な現実を見るために移されたのです。 神は私たちを啓示によって機能するよう召されました。私たちは目に見えるものではなく、信仰によって歩むのです。そして信仰とは御言葉によって生きることで、衝動や感覚的知覚ではなく神の言葉に基づいて行動することです。それが制限を超えて生きる方法です。あなたが世に先んじる方法です。あなたが状況を支配し、敵と逆境に打ち勝つ方法です。 あなたは癒しの見込みのない恐ろしい病と診断されたかもしれません。しかし、御言葉を通して自らを見れば、その病や疾患は幻影だと気づくことでしょう。あなたはキリストにおいて完全で、完璧で、健全であるのです。あなたは神の美しい完全なる現れです。これが真実なのです。 ヨハネ8章32節で主はこう言われました。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」キリスト・イエスにおいて、あなたは健康、繁栄、勝利という優位な立場にいます。だからこそ、御言葉の中で自らを成長させなければならないのです。意識的に御言葉の知識を増し加えてください。聖書はこう言います。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」 (ペテロ3:18) 告白 私は絶えず御言葉によって変革され、栄光と勝利に満ちた高き命へと位置づけられています。父なる神の御心を行い、キリストにおける私の運命を全うするための力、勇気、信仰、知恵に満たされています。御言葉に自らを委ね、霊感を受け、教えられ、教育され、訓練されるにつれ、私は神の健康、卓越性、支配の中を歩みます。神に栄光がありますように! 参照聖書 (創世記13:14-15) ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 (2コリント4:18) 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 (2ペテロ1:3)というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 Source link

御霊による祈りで 効果的に祈る | 御言葉の実在

2025年10月7日(火) 御霊による祈りで 効果的に祈る Pray Effectively By Praying In The Spirit 「 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。ではどうすればよいでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」(1コリント14:14-15) 御霊による祈りは、クリスチャンが効果的に祈るための主要な方法です。神はあなたが実りある人生を送ることを望んでおられます。ですから、祈りが神との交わりである以上、効果的な祈り方を知ることは重要です。冒頭の聖句からも分かるように、神と真に交わり、実りを得る最も効果的な方法は、御霊による祈りなのです。 冒頭の聖句で使徒パウロは、御霊による祈り(または御霊の中で祈ること)と理解による祈りを区別しています。御霊による祈りとは異言(御霊による異言)で祈ることです。理解による祈りとは、自分の理解できる言語を用いて、思考により祈ることです。しかし、御霊による祈りは自分の理解による祈りよりも優先されます。 エペソ6章18節はこう言います。「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」これは示唆に富むと同時に教訓的なものです。あなたは常に御霊によって祈るべきなのです。これは効果的に祈る確実な方法の一つです。ヤコブ5章18節(AMPC)はこう言います。「正しい人の真剣な[心からの、絶えない]祈りには非常な力が与えられるのです。[力強い働きをします。]」 義人とは、イエス・キリストの義によって新しく生まれた者、すなわちあなた自身のことです。ですから、あなたが祈るとき、脅威の結果をもたらす驚くべき力が解き放たれるのです。しかし、多くの人はこれを経験していません。彼らの祈りが効果的でないのは、異言で祈っていないからです。 間違いなく、異言で祈るとき、それは多くの力を生み出し、悪の働きや勢力を制圧するほか、超越的な益をもたらします。その結果は、あなたの家庭、職場、都市、国、そして世界中で明らかになるでしょう。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、御霊による祈りの祝福に感謝します。異言で祈るとき、悪の勢力は制圧され、御心は地上で、そしてあらゆる人々の生活の中で成し遂げられます。私の人生が絶えず主の完全なご計画に一致します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ユダ1:20) しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、 (1コリント 14:2) 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。 (ローマ 8:26-27 ) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。 Source link

神の目的においてのパートナー | 御言葉の実在

2025年10月6日(月) 神の目的においてのパートナー Partners In Divine Purpose 「 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(1コリント3:9) 霊的な成熟と神の知恵に歩む要素の一つは、魂の救いを含むあらゆる事において神の目的と一致することです。あなたが地上の神の計画において神のパートナー、すなわち共同労働者であることを認識することです。あなたがキリストの元に導かれたのは、単に罪の咎から逃れるためではなく、神聖な運命を成就し、他の人々を王国へ導くことに主と協力するためでした。 福音の奉仕者、キリストの奥義の管理者としての召命に目覚めてください。「 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました …」(2コリント3:5-6)1コリント4章1節から2節にはこう記されています。「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。」和解の奉仕において実り豊かで生産的でありなさい。 マルコの福音書16章15節で、主は既にこう言われました。「…全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」ですから、「主よ、私に何をなさいますか?」と尋ねる必要はありません。命令は明確です。第2コリント人への手紙5:18はこう言います。「すべてのものは神から出たものです。神はイエス・キリストによって私たちをご自身と和解させ、和解の奉仕を私たちに与えてくださいました。」 王国の優先順位をもって行動してください。日々、魂を救い、王国の進展に資源を捧げてください。まだ主を知らない者たちのために熱心に執り成してください。主の情熱を受け取ってください。聖書はこう記しています。「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ 3:9) 第2コリント5章14節から15節にはこう記されています。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」 主のために生きるということは、神の目的のために生きることを意味します。それは、主の望みに合わせて鼓動する心、主の計画に仕える手、主の道に歩む足を意味するのです。 祈り 愛する父よ、私を主のぶどう畑で共に働く者としてくださり感謝します。私は、主の知恵に歩み、私の人生における主の目的を果たし、主のビジョンに調和し、主の召しに献身し、主の御心すべてにおいて実を結ぶ者となります。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2コリント5:18-20) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 (1コリント3:9 ) 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。 (ヨハネ20:21) イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 Source link

御言葉は義のために私たちを訓練する | 御言葉の実在

2025年10月5日(日) 御言葉は義のために私たちを訓練する The Word Trains Us In Righteousness 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(2テモテ3:16) 効果的なクリスチャン生活は偶然に得られるものではなく、霊的な訓練、御言葉による義の訓練の結果です。御言葉は日々勝利へ導くようあなたの人生を整えます。聖書が与えられたのは、単に情報を与えるためではなく、あなたの人格を形成し、思考を整え、人生を築き、神の御業を見分ける霊を訓練するためです。 御言葉に浸る時、あなたは神のように考え、神のように判断し、神のように応答するようになります。感情や状況に左右されなくなるのです。なぜなら、あなたの決断は神の真理によって形作られるからです。神の言葉は、私たちに啓示された神の思い、見解、性質、人格、御心、感情そのものだからです。 主イエスについて考えてみてください。主は感覚や圧力、感情に基づいて状況に対応されたのではありません。主の言葉と行動は、主の神性の現れでした。主は真理を語り、真理を現されました。主には不足や欠乏の感覚はなく、制限の感覚もありませんでした。主イエスは神のように考え、神のように語り、神のように行動されました。主イエスは神の言葉の現れであり、御言葉が人となった方なのです。 さて、ご存知でしょうか?主がそうであるように、あなたもこの世において同じなのです。(1ヨハネ4:17)あなたは御言葉によって新しく生まれました。(1ペテロ1:23、ヤコブ1:18)そして、あなたには御言葉の命が宿っているのですから、御言葉によって成長し、訓練されなければなりません。御言葉を軽んじてはいけません。御言葉を学ぶたびに、それは変革され、御言葉の力を受け継ぎ、義に確立される機会なのです。 神の言葉は、あなたの霊的成長と発展、そして絶え間ない勝利と成功に満ちたバランスの取れた人生に必要なものです。使徒の働き20章32節はこう言います。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 御言葉はあなたを築き上げることができるのです。なぜなら、あなたは御言葉という朽ちることのない種から生まれたからです。御言葉はあなたの人生の取扱説明書であり、神の神聖な目的を果たすための指針なのです。 告白 私は御言葉によって訓練され、義に導かれ、あらゆる善いわざに備えられています。私は神の洞察力と正確さをもって働きます。私の人生は神の知恵と卓越性の反映であり、私を通して他の人々は神の完全な御心と一致していきます。神の言葉は私の中で働き、私の中で、また私を通して、そのメッセージの結果を生み出します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2テモテ3:15-17) また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 (1ペテロ1:23) あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 (使徒20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 Source link

御言葉なしには土台はない | 御言葉の実在

2025年10月4日(土) 御言葉なしには土台はない No Foundation Without The Word 「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。」(ルカ6:47-48) 困難な状況に直面した時、一部のクリスチャンは御言葉を無視します。例えば、彼らが問題を抱えている時に、あなたが彼らの意識を御言葉に向けさせようとすると、「御言葉がそう言っているのは分かっているけど…」と言うでしょう。彼らは間接的に御言葉を脇に置くよう求め、別の解決策を望んでいるのです。 こうした行為は、神からの助けを拒み、抵抗していることになります。聖霊は御言葉なしには何事もなさりません。神の御言葉なしに起こることはすべて基盤がなく、必ず失敗します。冒頭の聖句で、主イエスが語られたことを思い出しましょう。砂の上に家を建てた者と岩の上に家を建てた者のたとえを語られました。人生の危機が訪れた時、砂の上に建てた家は崩れましたが、岩の上に建てた家は揺るぎませんでした。 そして主は、岩の上に家を建てた者は御言葉の上に建てた者であり、御言葉を土台とした者だと説明されました。御言葉の上に人生を築けば、それは花開き、人生の危機に耐え抜けます。何が起ころうとも、常に勝利し支配するのです。しかし御言葉がなければ、持っているものはすべて空虚です。 奉仕においても、御霊の賜物や現れの上にあなたの働きを置いてはならないのです。御言葉の上に築いてください。御言葉を焦点とし、支えとし、錨としてください。御言葉を宣べ伝えてください。御言葉を信じてください。御言葉を教え、御言葉に従って生きてください。あなたの人生とメッセージを真理の上に築いてください。御言葉は真理です。(ヨハネ17:17) さらに、御言葉の上に築くとは、単なる聖句の一節を指すのではなく、神の「ロゴス」(ギリシャ語)、すなわち真理の全体、福音を通して聖書に現されたイエス・キリストの啓示を指します。それはイエス・キリストの福音、すなわち、キリストが誰であり、何のために来られたのか、についてです。その使命と一致するものです。それをあなたの人生の土台としてください。 告白 愛する父よ、私は御言葉の中に、御言葉によって生きています。それゆえ、私は揺るがず、堅固であり、常に勝利者です。なぜなら、私の人生は主の真理の上に築かれているからです。真理は私の土台であり錨であり、私の行うすべてのことに最優先されるものです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (コロサイ2:6-7) あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。 (マタイ 7:24-25) だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。 (使徒 20:32) いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 Source link