神に逆らって語るな | 御言葉の実在

2026年3月5日(木) 神に逆らって語るな Don’t Speak Against God 「『あなたがたはわたしにかたくななことを言う』と主は仰せられる。あなたがたは言う。『私たちはあなたに対して、何を言いましたか。』」(マラキ3:13) 冒頭の聖句から、私たちは非常に考えさせられることを読み取ります。預言者マラキを通して、神はこう言われました。「あなたがたの言葉は、わたしに対してかたくなであった。」人々が神に逆らう言葉を口にすることを想像してみてください。それなのに、彼らは無知ゆえに「私たちはあなた(神)に逆らう言葉を何か言いましたか?」と尋ねました。自分たちの言葉が神の言葉に反していることさえ気づいていなかったのです。これは今も続いています。 多くの人々は、自覚せずに言葉で神に敵対する立場を取っています。神が彼らについて語られたことを否定するようなことを口にするのです。例えば、神の言葉は「キリストにあるあなたの本質は神による健康である」と宣言しているのに、多くの人が常に病気について語っています。これは真理に逆らって語ることであり、神の言葉こそが真理なのです。(ヨハネ17:17) 御言葉は「すべてのものはあなたのものです。」と語っています。ですから「私は貧乏です」と言ってはいけません。神があなたに成し遂げさせたいすべてのことに必要な資源を、あなたは持っていると宣言してください。聖書は、命と死が舌の力にあることを示しています。(箴言18:21)あなたの言葉は空虚ではありません。あなたの口の言葉が神言の葉と一致する時、その真理と現実があなたの人生に確立されるのです。 しかし、あなたの言葉が御言葉に反するなら、敵に抜け穴を与えることになります。神はこう言われました。「『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。『主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。』」(ヘブル13:5-6)この順序に注目してください。神が言われたから、あなたが大胆に言えるのです。これが原則です。神はあなたの言葉が御言葉と一致することを望んでおられます。 これが神の王国の法則です。初めて聞く方には奇妙に聞こえるかもしれませんが、これが信仰の生き方なのです。神に背いてはいけません。誤った告白で人生の祝福を無効にしてはいけません。神の言葉を語ってください。神の宣告を宣言してください。これこそが勝利のうちに歩む道です! 祈り 愛する父よ、言葉の力について私の理解を開いてくださり感謝します。私は大胆に宣言します。私は健康と力と繁栄に満ち、勝利のうちに歩んでいます。私は常に御言葉に沿って語り、御言葉を私の現実として確信します。私は状況を克服して生き、キリストの祝福のうちに働きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言 18:21) 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。 (マルコ 11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 (2コリント 4:13) 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 (ヘブル 13:5-6 AMPC) (あなたがたの道徳的な性質が)金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを(助けないままに)捨てない。[あなたをささえるわたしの手をゆるめて倒れさせることはしない。]」そこで、私たちは確信に満ちて(大胆に)こう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 Source link

私達は神を賛美するために拍手はしない | 御言葉の実在

2026年3月4日(水) 私達は神を賛美するために拍手はしない We Don’t Clap To Praise God 「 私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」(詩編141:2) 神の家のうちにおける、奉仕の霊性と、音楽や礼拝表現の位置づけを理解することは重要です。例えば、教会で多くの人がよく慣れ親しんでいる拍手は、賛美でも礼拝でもありません。拍手自体が間違っているわけではありませんが、適切な場所で、適切な位置に置く必要があります。 拍手は喝采(かっさい)であり、賛同や興奮の表れです。しかし、霊的には、神を賛美したり礼拝したりすることとは同義ではありません。「イエス様に拍手を」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。しかし、聖書が教える主への礼拝や賛美の方法として、拍手は挙げられていません。真の礼拝は言葉、霊の歌、そして神への畏敬の念をもって手を上げることで表現されるのです。 例えば、冒頭の聖句から、手を上げる行為が天で認められる礼拝の行為であることは分かりました。しかし、拍手が賛美や礼拝の行為だと語る聖句は存在しません。故ケネス・E・ヘーゲン牧師はかつて、主イエスが御自身に現れて「拍手は賛美でも礼拝でもない」と告げる幻を共有しました。多くの人はこれを誤解し、拍手が間違っていると解釈しました。しかし、彼は単にその真の位置付けを説明していたのです。拍手は礼拝ではないということです。 奇跡が起こったとき、人々が拍手することは、神を賛美しているのではなく、単に賛同や興奮を表現しているのです。問題なのは、そうした行為によって、奇跡の結果として神に捧げるべき真の礼拝を怠ってしまうことがある点です。だからこそ私たちは御言葉によって教えられねばなりません。礼拝は常に知識に根ざすものであって、単なる習慣であってはならないのです。 したがって、拍手は出来事に対する人間の反応としてその役割を持ちますが、真の賛美と礼拝はあなたの霊から生まれ、言葉や歌、手を上げる行為、聖書が語るその他の礼拝の表現を通して示されなければならないのです。これこそが主を栄光に帰するものであるのです。 祈り 愛する父よ、真の礼拝の理解と、私たちが御霊によって主を礼拝し、キリスト・イエスにあって喜び、肉に頼らない真の割礼の民であるという啓示に感謝します。今この時も、私は心の底から主を礼拝します。主は唯一の真の神、義なる方、聖なる方、公正な方、恵み深い方、清く優しい方だからです。私の人生における主の栄光に感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ4:23-24) しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」 (詩篇63:3-5 NIV) あなたの愛は命よりも尊いゆえ、わが唇はあなたを賛美します。生きている限りあなたをほめたたえ、御名のもとにわが手を挙げます。最も豊かな食物のように満たされ、歌う唇をもってわが口はあなたを賛美します。 (詩篇9:1-2) 私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。 Source link

神はいつも見張っておられる | 御言葉の実在

2026年3月3日(火) 神はいつも見張っておられる God’s Always Watching 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7) 聖書を注意深く研究すると、神との関係を失った特定の人物たちに見られる驚くべきパターンとその理由に気づくでしょう。アダムの長子カインを例に取ってみましょう。彼は弟アベルに対して心に憎しみを抱いていました。 聖書はアベルの行いは正しいが、カインの行いは正しくないと言っています。カインは自らを改める代わりに、憎しみに飲み込まれ、ついに弟を殺害しました。彼は心の悪ゆえに自分の立場を失いました。またエサウを考えてみましょう。たった一食の食事のために、彼は長子の権利を売り渡しました。 聖書はエサウを「不敬虔」と描写しています。霊的な事柄が彼にとって何の意味も持たなかったからです。彼は長子の権利を軽んじたのです。彼にとってそれは形のないものだったため、食べ物と引き換えに捨て去っても構わないと思ったのです。しかし、神は心を見られます。神はエサウが不敬虔であることを見抜かれました。彼が長子の権利を売ったから彼は不敬虔なのではなく、不敬虔だったからこそ売ったのです。 後に長子の権利と結びついた祝福を受ける時が来たとき、彼は涙ながらに求めたにもかかわらず失ってしまいました。(ヘブル12:16-17参照)ここでの教訓は極めて明快です。人は欺けても、神を欺くことはできない、ということです。神は心の動機を量られます。 心を正しく据えてください。あなたの祝福、昇進、そして神の計画におけるあなたの立場は、霊的な真理をいかに尊び聖別するかにかかっています。一時的な世の満足のためにあなたの神聖の相続財産を売り渡してはいけません。 祈り 愛する父よ、御言葉を通して理解を与えてくださり感謝します。私の心は霊的なものを尊び、主と御言葉を畏れ敬い、キリストにある私の相続分が尊く永遠であることを自覚しながら、正しく歩む姿勢を保っています。私の心は主に留まり、義の行いによる永遠の報いを待ち望みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (1歴代誌 28:9) わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。 (1サムエル 16:7 NKJV) しかし主はサムエルに言われた。「その外見や背丈を見てはならない。わたしは彼を拒んだ。主は人のように見ないからだ。人は外見を見るが、主は心を見る。」 (ヘブル 12:16-17) また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。 Source link

あなたの中にある御言葉の働き | 御言葉の実在

2026年3月2日(月) あなたの中にある御言葉の働き The Outworking Of The Word In You 「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ1:27) 真のキリスト教とは、あなたの中にある御言葉の現れです。あなたが語る時、それは御言葉であり、あなたが行動する時、それは御言葉なのです。クリスチャンとは本質的に、御言葉の表現、あるいは御言葉のかたちであり、あなたが踏み出す一歩一歩、行うすべてのことが、神の言葉の現れなのです。 それがまさにイエスが地上に歩まれた時の姿であり、御言葉の現れであったのです。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。…」(ヨハネ1:14)イエスは神の現れであり、神の本質の完全な現れでした。したがって、あなたの人生は御言葉の啓示なのです。なぜなら、あなたも同じ御言葉から生まれたからです。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(1ペテロ 1:23) 2コリント 3章2節から3節は、あなたがキリストの手紙として明らかに宣言されていると述べています。「… あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかっだからです。」キリストの手紙とは、キリストの言葉のことです。 私たちがキリストの栄光の輝きであり、キリストの義の現れであるのも当然なのです。あなたが現れるとき、キリストが現れるのです。キリストがそうであるように、あなたもこの世にあってキリストと同じなのです。(1ヨハネ 4:17)あなたはあらゆる場所で、キリストの知識、知恵、恵み、力の香りを現すのです。(2コリント2:14)神をほめたたえます! あなたは今日、この世に生きるキリストそのものであるのです。キリストはあなたを通して、その愛、力、憐れみ、恵みを世界に現すのです。このような意識を持ってください。 告白 愛する父よ、私をキリストの手紙として、すべての人に知られ読まれるようにしてくださったことを感謝します。私の人生はキリストの栄光の現れです。神の命は私を通して現され、私は福音を通して他の人々をこの命へと導きます。あなたの知識、恵み、力、知恵、義は、私の中で、そして私を通して明らかにされます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヤコブ1:18) 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 (2コリント3:2-3 NKJV) あなたがたは、私たちの心に記された手紙であり、すべての人が知り、読むものです。3 あなたがたは明らかにキリストの手紙であり、私たちによって奉仕されているのです。それはインクで書かれたものではなく、生ける神の御霊によって書かれたものであり、石の板にではなく、肉の板、すなわち心に書かれたものです。 (2コリント2:14 AMPC) しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを[キリストの勝利の戦利品として]導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 Source link

証人として遣わされる | 御言葉の実在

2026年3月1日(日) 証人として遣わされる Sent As A Witness 「神から遣わされたヨハネという人が現れた。」(ヨハネ1:6) 「神が私を遣わしました」と言うべきではないと主張する者もいますが、聖書はすでにその問題を解決しています。主イエスはヨハネ20章21節でこう言われました。「…父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」さらに冒頭の聖句には、神から遣わされたヨハネという人物がいたと記されています。ですから、ヨハネのように、あなたも神から遣わされた者です。聖霊の力によって証人として遣わされているのです。 あなたは人生の放浪者ではなく、神聖の使節です。あなたは地上における天の大使なのです。「…私たちはキリストの使節なのです。」(2コリント5:20)あなたは光を運ぶ者であり、それ以上にあなた自身が光なのです。「あなたがたは世の光です…」(マタイ5:14)あなたは人々の道を照らし、キリストの救いのメッセージで諸国民を照らすために遣わされたのです。 誰にもその事実を否定させてはなりません。あなたは目的を持って生まれたのです。あなたはこの世代に対する証人として来たのです。あなたの人生こそが神のメッセージなのです。そして証人であるということは、弟子を作ることを意味します。主の教えは単に人々をキリストに導くだけでなく、彼らを弟子とすることでした。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」」(マタイ28:19-20) つまり、福音を伝える相手は、あなたの信仰に従い、それを守るべきです。彼らは教えにおいて、祈りにおいて、そして神の国の奉仕において、あなたの歩みに従うべきです。あなたが従うビジョンに従うべきです。使徒パウロはこれを理解し、こう言いました。「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。」(1コリント11:1)真の弟子は、自ら歩む道に他者を導きます。弟子は弟子を作るのです。ですから、魂を救うことに献身し、一貫して取り組み続けてください。あなたの召しに大胆に立ち、神聖な使命に忠実であってください。 祈り 愛する父よ、この時代への証人として私を選び、遣わしてくださり感謝します。私は御言葉の光の中を歩み、あらゆる場所で栄光を映し出します。私は御霊の力によって弟子を育て、彼らを義の道に教え導きます。私は召しに大胆に立ち、使命に忠実でいます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ルカ24:45-48) そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。48 あなたがたは、これらのことの証人です。 (使徒1:8) しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 (使徒5:29-32) ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」 Source link

私達の信仰と告白の基盤 | 御言葉の実在

2026年2月28日(土) 私達の信仰と告白の基盤 The Basis For Our Faith And Confessions 「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」(2コリント4:13) 信仰とは空虚な告白や単なる言葉の繰り返しではありません。例えば「私は元気だ、元気だ、元気だ」と口にするだけでは、実際に元気になるわけではありません。もしそう告白すること自体を信頼しているなら、あなたは信仰を行いに変えてしまっているのです。それは結果を生み出さない一種の霊的な労苦です。 結果を出す仕組みはこうです。聖書は「私は信じた。それゆえに語った」と記しています。つまり、語る前にまず信じることから始まるのです。「私は健康だ」と言う根拠は何でしょうか?私たちの信仰の基盤は、キリストが既に成し遂げられた事にあります。 したがって、「病気になることを拒む」と言う理由は、神が既にあなたに神聖の健康を与えており、あなたがそれを手放すことを拒むからなのです。あなたの身体の感覚に関わらず、誰かに「お元気ですか?」と尋ねられたら「私は健康です」と答えてください。なぜなら御言葉によれば、あなたの中には病気や疾患や弱さに侵されない神の命が宿っているからです。 同じ理由で「私は貧しいことを拒む」と宣言するのです。キリストがあなたを富ませたからです。2コリント8章9節はこう言います。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」あなたの告白は、神の御言葉の実在をあなたの人生に実現させようとする試みではありません。むしろ、キリストにおいてすでに真実であることに同意するものです。ゆえにあなたは「私はキリストにあって富んでいる」と宣言するのです。 私たちがキリストにあって誰であるか、何を持っているのか、そしてキリストにおける相続財産と力が何かについての私たちの信仰こそが、告白の基盤です。私たちの信仰はキリストの成し遂げられた御業に根ざしています。ゆえに告白はそれらを現実に現すのです。さらに私たちは、これまで存在しなかったものを生み出す創造的力も持っています。これは別の次元の働きであり、あなたの口から出る神のことば(ギリシャ語:レーマ『rhema』)によって起こるのです。 あなたは御霊によって語る時、霊的であれ物質的であれ、新たな実在を形作ります。あなたが健康や繁栄、勝利を宣言する時、あなたがそれらを創造しているのではなく、キリストがすでにあなたのものとしてくださったことを認め、活性化させているのです。神に栄光をささげます! 祈り 愛する父よ、信仰の真の基盤を理解させてくださり感謝します。私の言葉は、キリストの成し遂げられた御業に根ざしているため、力に満ちています。御言葉を宣言するとき、キリストにおける私の相続分である実在、すなわち健康、富、勝利が活性化され、現実に現れます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ピレモン1:6) 私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。 (ローマ10:10) 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 (ヘブル11:1-3) 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。 (マルコ11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 Source link

鍵は愛のうちに歩む事 | 御言葉の実在

2026年2月27日(金) 鍵は愛のうちに歩む事 The Key Is Walking In Love 「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22) ある人が私に手紙を書き、神の助けで傲慢さを克服する方法を知りたいと尋ねてきました。彼は傲慢だと見なされており、心からその性質を自分の人生と人格から排除したいと願っていたのです。私はそれが本当に素晴らしい願いだと思いました。彼は単に変わりたいと願うこと自体が、その傲慢に打ち勝つための第一歩だったのです。 しかし、あなたが人生のどの領域で変化を望むなら、必ずしなければならないことがあります。御言葉に基づいて行動することです。冒頭の聖句にあるように、御言葉の実行する者となってください。神の言葉に応え、それに従って生きてください。例えば傲慢に対処する場合、あなたは御言葉に基づいて行動するのです。エペソ5章1節から2節はこう書いてあります。「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。…」傲慢を克服する鍵は、愛のうちを歩むことです。 ガラテヤ5章22節から23節はこう言います。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」御霊の実は、新しく造られた人間の霊、すなわち生まれ変わった霊の自然な産物を指します。これらの特性はあなたの生まれつきの本質の一部であり、愛はその一つです。 ガラテヤ5章19節から21節は肉の行いを列挙し、傲慢は肉に属するものと記しています。謙遜、喜び、平和、忍耐、親切、善意、信仰、柔和、自制をもって歩むことを選んでください。これらの性質はすでにあなたの霊の中にあります。愛をもって歩むことでそれらを育み、発展させてください。時折、「私は愛のうちを歩みます」と宣言しましょう。その決断をすれば、驚くべき方法であなたの人生に神の栄光が現れるでしょう。なぜなら愛は神の性質であり、勝利への道だからです。 祈り 愛する父よ、私の心を清め、新たにしてくださる御言葉に感謝します。主の愛は私の中で完全に現れています。私は他者に対して謙遜と柔和と愛をもって歩みます。傲慢は私の霊の中に居場所がありません。なぜなら、キリストの美しさが私の言葉、思い、行いを通して見られ、聞かれるからです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (エペソ4:1-2) さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 (1コリント13:4-5 MSG) 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 (1ヨハネ2:3-5) もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。 Source link

神性の中に生まれた | 御言葉の実在

2026年2月26日(木) 神性の中に生まれた Born Into Divinity 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17) あなたが新しく生まれた時、聖書が言うのは、キリストの中へとバプテスマされたということです。「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。」(ローマ6:3)ガラテヤ3章27節はこう言います。「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」  つまり、新しく生まれたあなたは、神の言葉によって、御霊を通して、神の中へ、神性をもって生まれたのです。あなたは実際にキリストの中へと受け入れられたのです。だからこそ聖書はこう言います。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(2コリント5:17)キリストのうちにいる人は、神の命と性質をもって新しく生まれたのです。 あなたの人間的な命は永遠の命と融合(ゆうごう)したのではありません。人間の命は永遠の命に取って代わられたのです。これが聖書の教えです。もしこのことを知らなければ、あなたは決して神聖な命の実在の中で生きることはできません。この知識こそが体験を活性化させるのです。だからこそ、1ヨハネ5章13節で、聖霊は使徒ヨハネを通してこう告げられています。「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」 神はあなたが自分の内に御自身の命を持っていることを知ってほしいと願っているのです。その命は病気、疾患や弱さと共存することはありません。その命はそれらを滅ぼすのです。あなたの中にある神聖な命は、腐敗せず、破壊されず、失敗や死に侵されることはありません。しかし、それを知らなければ、あなたは単なる人間として生き、キリストを持たない者たちと同じ苦難に遭うでしょう。 だからこそ、あなたは「生まれ変わる」ということが真に何を意味するのか理解しなければなりません。生まれ変わることは、キリストの脈打つ命があなたの中にあるということです。生まれ変わることは、死すべきものから不滅へと、人間性から神性へと移されることです。神をほめたたえます! 祈り 愛する父よ、キリスト・イエスにある永遠の命の啓示に感謝します。私は、自分の霊に神の命と性質が宿っているという自覚をもって歩みます。この命は、私を病気、疾患、闇よりも優位に立たせます。私は常に勝利のうちに生き、私の中にある神聖な命を示します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ3:5-7) イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。 (1ヨハネ5:11-12) そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。 (ローマ6:4) 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 (ヨハネ1:12-13) しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。 Source link

永久に勝利者である | 御言葉の実在

2026年2月25日(水) 永久に勝利者である Forever Victorious 「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」(詩編34:19) 人生には試練や誘惑、困難な日々が訪れることがあります。予期せぬ迫害や苦難、危機に直面することもあるでしょう。しかし聖書はこう語っています。「…これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となのです。」(ローマ8:37)あなたは試練が訪れる前から既に勝利していたのです。だからこそ動揺することを拒んでください。信仰の姿勢と支配権の態度を保ち続けてください。 主イエスは、ヨハネ16章33節でこう言われました。「…あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」主がこの世に勝たれた時、あなたは主の内にいました。つまり、あなたもまたこの世と、その中の逆境、そして敵そのものに勝ったという意味です。ですから今日、あなたが直面するどんな試練も「過ぎ去った」のです。 主イエスは逮捕の際、弟子たちにこう告げられました。「…しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」(ルカ22:53)しかしその瞬間は一時的なもので、過ぎ去ったのです。その後、十字架にかけられた神の子は墓から出て、今や永遠に統治し、私たちを絶え間ない勝利の行進へと導いておられるのです。2コリント2章14節(現代訳)にこう記されています。「メシア、すなわちキリストにおいて、神は私たちを絶え間ない勝利の行進へと導いてくださる…」 ハレルヤ! 困難な日々が訪れたとき、自分を疑って「私が間違えたのか?なぜ私にこんなことが起こるのか?」と問う必要はありません。試練は人生の一部ですが、あなたが常に勝利するゆえに決定的な要素ではないのです。人生の状況が、キリストにおけるあなたの真の性質やアイデンティティを決めるのではありません。聖書はこう言います。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は、みな迫害を受けます。」(2テモテへ3:12) しかし、ヤコブの手紙1:2で、神は私たちにどう応じるべきかを教えています。「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」 なぜでしょう?それは、いかなる迫害、試練、苦難、困難な状況も、あなたを圧倒することはできないからです。あなたは勝利者として生まれました。聖書はこう言います。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ43:2) ですから、何が起ころうとも、すべてのことがあなたの益となることを確信し続けなさい。あなたの内におられる方は、この世にいる者よりも偉大です。(1ヨハネ4:4)。どんな状況においても、勝利は常にあなたのものだと確信するのです。 祈り 愛する父よ、私を強め守り続けてくださる御言葉に感謝します。いかなる状況にあっても、私は信仰に立って堅く立ちます。父がキリストにおいて私を勝利者となさったことを知っているからです。私の確信は、私の中で働く聖霊の力と、変わることのない御言葉と愛にあります。キリストにおいて私は永遠に勝利者であることを知り、いつも喜びます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2コリント4:17-18) 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです (1ヨハネ4:4) 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。 (詩篇91:1-7) いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。 (ローマ8:35-37) 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 Source link

あなたは何倍も多くの恵みを受けることができる | 御言葉の実在

2026年2月24日(火) あなたは何倍も多くの恵みを受けることができる You Can Have Grace Many Times More 「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」(2ペテロ3:18) 聖書は、恵みの中で成長し、キリスト・イエスにある恵みを活用すべきだと教えています。昨年の恵みに留まってはいけません。その当時の恵みは有効でしたが、さらに多くの恵みが与えられているのです!神はあなたが新たなより高いレベルの恵みへと進むことを望んでおられます。あなたは恵みを何倍も受け取ることが可能なのです!あなたは「どうすればそれが実現するのか?」と問うかもしれません。神の言葉はまさにその方法を示しています。 2ペテロ1章1節から2節にはこう記されています。「…神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」注目すべきは「恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように(be multiplied)。」と述べられている点です。神の知識と私たちの主イエス・キリストを知る知識を通して、恵みと平安が加えられるのではなく、倍増します。御言葉を通して神を知るほどに、あなたの人生における神の恵みは指数関数的に増し加わります。  あなたの人生に神の恵みを倍増させる神の知識とは、ギリシャ語で「エピグノーシス(epignosis)」です。これは完全かつ正確な知識のことを意味します。あなたとその知識の対象と結びつける知識なのです。キリストに対するこの親密な啓示の知識、すなわち「エピグノーシス(epignosis)」がなければ、あなたの恵みは停滞するか、わずかな恵みがほんの少し増える程度に留まるでしょう。しかし、主をより深く知るために御言葉を学び、それを思い巡らせるにつれて、恵みの増加は突然起きます。 その時、あなたは自分の能力が増したことに気づくのです。あなたの影響力、繁栄、偉大さは広がり続けます。これが、主が私たちに聖書を思い巡らせよと命じられる理由の一部です。「これらの務めに心を砕き(思い巡らし)、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。」(1テモテ4:15) 「明らかになる」という語はギリシャ語「ファネロス(phaneros)」に由来し、「広く知れ渡る」「すべての人に明らかに知られる」という意味です。ですから、神の恵みがあなたの人生で倍増する時、より多くを行うための能力や力量の増加とは別に、あなたの繁栄、影響力、偉大さ、インパクト、そして支配権の及ぶ範囲は、はるかに広く、間違いなくすべての人に知られるようになるのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、私に増し加わる道を示してくださり感謝します。私は恵みと主イエス・キリストの知識において成長します。啓示の知識を通して私の恵みは倍増します。私はより高い次元の能力、恵み、影響力の中で働きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヤコブ 4:6) しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 (2コリント 9:8 AMPC) 「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて[援助や支援を必要とせずに、十分に所有し]、すべての良いわざに[慈善活動をするのに豊かに提供され]あふれる者とするために、あらゆる恵み[すべての好意と世界の祝福]をあふれるばかり[自給自足をできるように]与えることのできる方です。」 (コロサイ 1:9-10) こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 Source link