御言葉に焦点を合わせよ | 御言葉の実在

2025年10月24日(金) 御言葉に焦点を合わせよ Focus On The Word 「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。」(創世記1:1-3) もしあなたの人生に超自然的なことが起こるのを見たいなら、御言葉に焦点を合わせてください。神の言葉は全世界と全宇宙を創造しました。神は様々な方法でご自身を現わされますが、その驚くべき方法の一つが御言葉です。神は言葉の中に、そして御言葉を通してご自身を現わされます。神の言葉があるところに、神がおられます。 神の言葉は人の言葉とは異なります。神の言葉は命です。神の言葉は力です。神の言葉は光です。神の言葉は真理です。神の言葉は神そのものなのです。もし、あなたが心を御言葉に集中させるなら、それは心を神に集中させていることになるのです。イザヤ書26章3節はこう語ります。「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」 では、どのようにして心を神に留め続けるのでしょうか?御言葉に心を留め、御言葉を思い巡らすことによってです。人生で何に直面しようとも、神だけを見るようにしましょう。つまり御言葉を見るのです。御言葉をあなたの心に留めるのです。神の御言葉を心に留める時、あなたは超自然的な力に包まれます。御言葉こそが神の超自然的な力が宿る場所です。 聖霊が御言葉なしに何事もなさらない理由もここにあります。創世記1章で聖書はこう記しています。「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり」そして、神の霊が水の上を動いていたが、何も変わらなかったのです。御言葉が語られるまでは、 依然として闇と混沌は続いていたのです。 聖書はこう言います。「神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」 神の御霊が光を生み出したのは、神が語られた後でした。これは神の言葉の力と重要性を示しています。あなたは言葉に焦点を合わせなければければなりません。それを宣言しなさい。御言葉が与えられるまで、神の御霊は何もなさらないのです。ですから、個人的に人生で偉大なことを経験し、主が定められたように超越的に生きるために、神の言葉によって生きてください。 祈り 愛する父よ、御言葉の力と真実さに感謝します。私は心と思いを御言葉に集中させ、平安に満たされています。御言葉は私にその語るものを生み出します。私は可能性のみを見、卓越と勝利と支配権の中を歩みます。御言葉が私の命だからです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨシュア1:8) この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 (ヘブル4:12-13) 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。 Source link

御言葉を働かせよ | 御言葉の実在

2025年10月23日(木) 御言葉を働かせよ Work The Word 「 そういうわけですから、愛する人たち、…恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12) キリスト教において生まれ変わったということは、自動的にあなたが真のクリスチャンとして生きられるわけでも、クリスチャンの生活の結果を経験できるわけでもありません。物事が自然に起こり始めるわけでもありません。あなたが自らそれを実現しなければなりません。救いを完成させねばならないのです。つまり、あなたの信仰を行動に移し、神の言葉を実践しなければならないのです。 御言葉を行う者こそが救いの祝福を体験するのです。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。… ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」(ヤコブ1:22-25) あなたにはサタン、病気、疾患、弱さを凌駕する命、つまり、神性の命が与えられています。あなたは神の一族の仲間なのです。「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」(2ペテロ1:4)あなたは神から生まれた者なのです。「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(1ヨハネ 4:4) あなたの起源は神にあり、神はあなたの内に生きておられるのです。これらの実在を生活の状況に重ね合わせなければなりません。そこに御言葉の知識と御言葉を思い巡らすことが求められます。自ら聖書を知り、思い巡らさなければならないのです。思い巡らすことを通して、聖書に記された実在と真理が、あなたの霊の中にある意識に現れるのです。それらはあなたにとって現実的で実感できるものとなります。 また、聖書を意識的に思い巡らすことで、あなたの歩みは栄え、勝利を創り出し、人生の諸事において賢く対処するようになります。「この律法の書を、あなたの口を離してはならない。昼も夜も、それを口ずさみ、そこに書かれていることをすべて守り行いなさい。そうすれば、あなたの道は栄え、賢く行動し、成功を収めるであろう。」(ヨシュア記1:8 AMPC) ここにその答えがあるのです。あなたの輝かしく豊かな人生は、神次第ではなく、あなた次第なのです。神はあなたに御言葉を与えてくださいました。それは、あなたが最高の祝福に生きるために、支配権の中を歩み、救いの完全な恵みを享受するために必要なものです。しかし、あなたはその御言葉を働かせなければならないのです。御言葉が語るものをあなたの中に、そして、あなたのために創り出すために、御言葉に基づいて行動しなければならないのです。 祈り 愛する父よ、主が私に与えてくださった神聖な命に感謝します。私はキリストにある自分が誰であるかを自覚して生きています。主の御言葉を私の思い、体、日々の状況の上に重ね合わせます。私は毎日、神聖な健康、平安、勝利の中を歩みます。主の内住の臨在と私の中にある御霊の力を自覚して生きているからです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヤコブ1:22-25) 22 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。 (ローマ12:2) この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 (1 テモテ4:15) これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。 Source link

あなたの言葉は、あなたの人格である | 御言葉の実在

2025年10月22日(水) あなたの言葉は、あなたの人格である Your Words Are Your Person 「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。」(ルカ6:45) ご存知ですか?あなたの人格の最も素晴らしい部分は言葉なのです。神が生まれつき私たちに与えてくださった最大の賜物は、話す能力です。なぜなら、あなたの言葉はあなたの人格であり、あなたの言葉はあなたそのものだからです。言葉の性格は、あなたの人格の性質です。あなたは自分の言葉と別物ではありません。あなたの霊が優れていれば、言葉も優れるのです。 この点を強調して、主イエスはこう言われました。「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。…心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」(マタイ12:33-35)主が言われたことに注目してください。あなたから出る言葉は、あなたの心、あなたの霊から来るのです。そしてあなたの霊こそが、真のあなたです。 箴言23章7節は言います。「人の心で思うことは、その人そのものである」つまり、あなたは自分の思考と異なる存在ではなく、言葉は思考が語彙をまとった姿なのです。したがって、今日のあなたの人生は、数ヶ月あるいは数年前にあなたの言葉が創造したものの写しです。そして今後数ヶ月あるいは数年の人生は、今この瞬間にあなたの言葉が創造するものなのです。言葉はそれほど重要なのです。 祈り 義なる父よ、言葉という賜物と、私の言葉を通して御恵みを現す力を感謝します。私の言葉は、心にある王国の宝庫から湧き出る知恵に満ちています。私は卓越と純粋さと真実を語ります。私の言葉は主の義を現し、主の中にある私の栄えある人生と運命を形作ります。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言 16:23-24) 知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。 (マタイ12:33-35) 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。 (コロサイ4:6) あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。 Source link

礼拝の聖なる表現 | 御言葉の実在

2025年10月21日(火) 礼拝の聖なる表現 Holy Expressions Of Worship 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24) 神は霊です。 神を礼拝する者は霊と真理をもって礼拝しなければならないと、聖書は述べています。しかし、肉体的に行う特定の行為が、あなたの霊を活性化させるのに役立ちます。 例えば、あなたが意識的に、また意図的に祈るためにひざまずくとき、あなたの霊は活性化されます。神がそうするように命じられたのは、その行為によって即座に認知的な状態から霊的な状態へと移され、聖書の言葉を成就するためです。詩篇95篇6節はこう言います。「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」 ダニエルも祈りのためにひざまずきました。「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。…彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」(ダニエル6:10)主イエスでさえ祈るためにひざまずかれました。「そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。」(ルカ22:41) あなたの主への祈り、賛美、礼拝において手を上げる時も同じことが起こります。これらの身体的行為は、あなたを自然の領域から霊的領域へと導きます。それらは畏敬、称賛、礼拝の聖なる表現なのです。聖書はこう言います。「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(1テモテ2:8) ソロモン王は神殿奉献の際に手を挙げました。「こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終わった。彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた主の祭壇の前から立ち上がり」(1列王記8:54)これらの例は、たとえ肉体的な行為であっても、特定の畏敬の念を示す行動の重要性と霊性を示しています。 これらの霊的な姿勢を決して軽んじてはなりません。それらはあなたの焦点を、肉の気晴らしから御霊の現実へと移行する助けとなるのです。それらはあなたの霊と接触するのに役立ち、あなたは主とのより深い交わりへと燃え上がり、目覚めるようになります。詩篇作者の言葉を思い起こしてみましょう。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」(詩篇141:2)ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、霊と真理をもって主を礼拝することを教えてくださり感謝します。私は自分の体を義の器として捧げ、礼拝と祈りと賛美において、それを私の霊と一致させます。私が手を上げ、ひざまずくとき、私の霊は主とのより深い交わりへと奮い起こし、目覚めさせられます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ 12:1) そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 (ルカ 24:50) それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。 (1テモテ 2:8) ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。 Source link

聖霊の声にすぐに応答せよ | 御言葉の実在

2025年10月19日(日) 聖霊の声にすぐに応答せよ Respond Promptly To His Voice 「荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」(へブル3:8) 聖霊との豊かで深い関係を育むことは、霊的な成長と成熟に不可欠です。聖霊はあなたの内に住まわれ、すべての真理へと導いてくださいます。その御声を聞き分け、適切に応答することで、聖霊との歩みは変革され、あなたの人生における神の目的が輝かしく成就されるでしょう。 誰かと話した後、聖霊がこう告げるかもしれません。「今日は話しすぎです。あの言葉は言うべきではなかったです。」と。単なる自分の考えだと思い流してはいけません。その単純な戒めを真剣に受け止め、感謝しましょう。そうすることで、あなたの人生における聖霊の働きを励ますのです。 聖霊の促しを無視する者は、やがて困難に陥ります。しかし聖霊の望みは常に、あなたの前に潜(ひそ)むあらゆる危険を回避させることです。イザヤ書30章21節(NIV)はこう告げています。「右へ左へ進むとき、あなたの背後から声が聞こえるでしょう。『これが道だ。これを行け』と。』今日、その声はあなたの背後ではなく、あなたの内にあります。 内なる御声が何をすべきか、あるいはすべきでないかを告げるのを聞いたら、即座に行動してください。御声を認識し応答する訓練を積んでください。御声は聖書に沿った導きと方向性を与えるため、見分けるのは容易です。御言葉に反することはしないことが御声の特徴なのです。 悲しいことに、聖霊の御声に抵抗し無視し続ける者もいます。その結果は停滞と失敗です。月日が過ぎても彼らは変わらず、進歩のない循環に囚われたままです。霊的な歩みは未熟なままです。霊的な成熟は、聖霊への敏感さによって示されます。 成熟したクリスチャンは、聖霊の戒めや教えに素早く従います。彼らは、効果的なクリスチャン生活と霊的成長には聖霊の導きが不可欠だと理解しているからです。だからこそ、彼らは謙遜をもって聖霊の導きと御声に即座に応答するのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、主の御言葉と御声に敏感な心を与えてくださり感謝します。聖霊の導きと促しを通して、私はキリストにおける自分の運命を全うしながら、主に完全に喜ばれる優れた人生を歩みます。私が御霊と歩調を合わせ、成熟と恵みと目的の中で成長するとき、主の知恵が私の心を満たし、主の愛が私を通して自由に流れ出ます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ロー マ 8:14) 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 (ヨハネ 16:13 ) しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。 (詩篇 95:7-8) 主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。 Source link

あなたの言葉は生きている | 御言葉の実在

2025年10月18日(土) あなたの言葉は生きている Your Words Are Alive 「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63) あなたが発する言葉は空虚なものではありません。消え去ることもなく、生き続けるものです。あなたの最後に口にした言葉が、発した瞬間に終わったと思わないでください。あなたの口から出る言葉の一つ一つが、霊的な領域で生きているのです。既に発した言葉を撤回したり打ち消す唯一の方法は、その言葉とは反対の、より強力な言葉を口にすることです。言葉はそのものが実体であり、エネルギーと実在性を持つものです。 このことを心に留め、言葉に価値を置くべきです。本心でないことや望まないことを決して口にしてはなりません。否定的な言葉を口にすべきではありません。その原理は単純ですが、霊的なものです。あなたが口にしたものが、あなたのもとに訪れるようになるのです。主イエスはこう言われました。「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」(マルコ11:23) これは、主が私たちに無益な、実を結ばない言葉を語るなと命じられるのも同じ理由です。「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:36-37)むだな言葉とは、何の意味も持たない、空虚な言葉のことです。主は、そのような言葉を語ったことに対して責任を問われると語っておられます。 覚えておいてください。あなたは神のかたちと似姿に造られたのです。では、主ご自身について何と言われましたか?「わたしがあなたがたに語る言葉は、霊であり、いのちである」と言われました。主は言葉に重きを置かれました。主イエスの言葉と他の人間の言葉との違いは、主がいのちを語られた点にあります。主は私たちに模範を示されたのです。 箴言18章21節はこう言います。「生と死は舌に支配される。」命のみを語りなさい。そうすればあなたの人生と環境の全てが生きるのです。あなたの事業に、財政に、体に、子供たちに、そして周囲の全てに命を語りなさい。覚えておいてください、あなたの言葉は決して消えないのです。それは生きているし、力強いものです。それはあなたの人生の進路や方向を決めるのです。成功するか失敗するかは、すべてあなたの口にかかっているのです。 祈り 愛する父よ、言葉の力を教えてくださったことに感謝します。私の言葉は命と力と信仰に満ちています。私は望むことだけを語ります。私の体に命を、仕事に前進を、財政には増加を、環境に平安を語ります。私の舌を命の木としてくださり、感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (1ペテロ3:10) 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、 (マタイ12:36-37 ) わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」 (ヨブ22:28) あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。 Source link

新しく生まれた-霊的実在 | 御言葉の実在

2025年10月17日(金) 新しく生まれた-霊的実在 Being Born Again—A Spiritual Reality 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17) ある時、ニコデモという名の尊敬されるユダヤ人の教師が、主イエスを訪ねて来ました。彼はユダヤ人の指導者でしたが、宗教心にあふれていながらも、何かが欠けていました。主は彼を見つめ、彼の宗教的知識や儀式をすべて突き抜ける深い言葉を告げました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3) ニコデモはやや当惑しながら尋ねました。「年を取った人が、どうして新しく生まれることができましょうか。」しかし、主イエスが語っていたのは肉体的な誕生ではなく、深い霊的真理の啓示でした。 新しく生まれることは単なる宗教的決まり文句や現象ではなく、霊的な実在です。それは全く新しい命、つまり、神ご自身の命と性質を受け入れることを意味するのです。 あなたが新しく生まれた時、宗教に導かれたのではありません。超自然的な変容が起きたのです。それは実際に新しく生まれたことです。 あなたの人間的な命は神性の命に取って代わられました。霊において実際に何かが起こり、あなたは死から命と不滅へと移されたのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24) 生まれ変わったあなたは、主の御霊によって御言葉から生まれたのです。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」(ヨハネ3:6-7)1ペテロ1章23節にはこう記されています。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」 またヨハネの福音書1章12節から13節には、こう記されている。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」 これが「新しく生まれた」という意味です。あなたは文字通り、命と性質において神から生まれ、その命と性質があなたの霊に宿っています。あなたは分類学的にノンクリスチャンとは異なります。イエスがそうであるように、あなたもこの世において同じような者なのです。(1ヨハネ4:17)ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、今や私の中で働いているキリストの超自然的な命に感謝します。私は朽ちることのない御言葉から生まれました。その御言葉は永遠に生き、存続します。私は普通の人間ではありません。私は新しい創造者です。私は御言葉と御霊から生まれ変わった新しく造られた者です。私は栄光と義に満ちた、よりすぐれた命を生きているのです。私は毎日勝利のうちに歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ3:3-8) イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 (ヤコブ1:18) 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。 (ガラテヤ2:20) 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。 Source link

いのちの御霊の原理 | 御言葉の実在

2025年10月16日(木) いのちの御霊の原理 The Law Of The Spirit Of Life 「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:2) 1ヨハネ3章4節で、使徒ヨハネはこう記しています。「罪を犯している者はみな、不法を行っているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。」 しかし、パウロは1テモテ1章9節でこう告げています。「すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、…」そして私たちは義人です。そこで疑問が生じてきます。「クリスチャンとして、私たちは何らかの律法の下にあるのでしょうか?」 はい、私たちは律法の下にあります。しかし、それは異なる種類の律法です。モーセの律法ではありません。罪と死の律法(原理)でもありません。それはいのちの御霊の原理です。使徒ヤコブが、ヤコブ1章25節で「完全な自由の律法」と呼んだものこそこれでした。「ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」 この「完全な自由の律法」という表現は興味深い言葉遊びでもあります。律法は通常、制限を意味しますが、ここでは自由を生み出します。この律法は私たちの内側で働き、サタンによる制限や抑制を取り除きます。例えば、病気が体を襲うとき、それは人の健康に対する腐敗や抑制です。しかし、神に感謝します。聖書はこう言っています。「キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。」(2テモテ1:8-10)ハレルヤ! 生まれ変わったあなたは永遠の命を持ち、永遠の命は癒しを必要としません。したがって、あなたの体を何が襲おうとも、もしあなたが霊の中にある神の命を燃え立たせるなら、あなたの全身は活力に満ちるでしょう。聖書はこう言います。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(ローマ8:11) あなたの中の聖霊は命を生み出す方です。自然界のあらゆるものは衰退する一方で、命はあなたと、あなたとつながるすべてのものの中で働きます。なぜならあなたは命の領域にいるからです。あなたは死から命へと移ったのです。(ヨハネ5:24)ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、私が生き、働くための完全な自由の律法を与えてくださり感謝します。私は御霊の自由の中を歩み、あらゆる制限から解放され、御心を実行する力を与えられています。主の目的が私を通して成就されることを宣言し、私の行うすべてのことにおいて主の義が現れるのです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ8:10-11) もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。 (ガラテヤ5:1) キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。 (ヨハネ5:24) まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 Source link

聖書による慰め | 御言葉の実在

2025年10月14日(火) 聖書による慰め The Comfort Of The Scriptures 「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ15:4) 神は私たちを深く愛しておられ、聖書を個人的な文書として与え、私たちに送ってくださいました。それは聖書の慰めを通して、私たちが希望を持つためです。 だからこそ、私は聖書を繰り返し学ぶことを愛しています。学ぶ中で私は方向性を見出し、信仰を受け取り、希望に満たされます。未来を大きな期待を持って見つめます。世の中で何が起ころうとも、私は御言葉に集中します。聖書の慰めを通して希望を持つからこそ、私は岩のように固く決意を固めるのです。 聖書は私にとって生きているもの、キリストの生ける声となりました。例えば「私の内におられる方は、この世にいるあの者よりも力があるからです。」と言う時、私は単に聖句を引用しているのではありません。神が私の歩みのために与えてくださった生ける声に応えているのです。神は、私たちが毎日物理的に御姿を見られないことをご存知です。私たちが直面する重圧や、神が明らかに現れてくださることを願う時をご存知です。しかし、神は、それ以上に確かなもの、つまり、「主の言葉」を与えてくださいました。 神はあなたが御言葉に頼ることを望んでおられます。なぜなら御言葉は決して失敗しないからです。イザヤ55章11節はこう言います。「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」 さらにマタイの福音書24章35節で、主イエスはこう言われました。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。」 これは神の言葉が最も確かな基盤であることを示しています。ヨシュア記21章45節が証言するように、神の言葉は一つとして失敗したことも、失敗することもないのです。「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」 さらに聖書は、人生の諸事において賢く対処する力を与えます。(ヨシュア1:8)だからこそ、私たちは御言葉を思い巡らすことを強調するのです。あなたが人生で成し遂げるべき全ては御言葉に込められています。ですから御言葉に留まってください。御言葉によって生きてください。 祈り 愛する父よ、聖書という祝福、すなわち私を導き、励まし、強めてくださる主の生ける言葉に感謝します。聖書の慰めを通して、私は希望を持ちます。知恵と信仰と、輝かしい未来への大胆な期待をもって歩みます。主の御言葉は私の日々の光であり、私はその真理によって生きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (2テモテ3:15-16) また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 (ヨシュア記1:8 ) この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 (詩篇119:105) あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 Source link

物事を呼んで存在させることを学ぶ | 御言葉の実在

2025年10月12日(日) 物事を呼んで存在させることを学ぶ Learn To Call Things Into Being 「あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。」(ヨブ記22:28) 聖霊の力によって、あなたが望むものは何でも呼び起こせることをご存知でしょうか?今この瞬間に必要なものを、あなたが受け取る力を持っているのです。決して「手に入らない」と思うものに欠けていると自らを捉えてはいけません。代わりに、物事を存在へと呼び起こすことを学んでください。 創世記1章で神が万物を創造された時、この同じ原理を用いられたのを見ることができます。神はそれらを呼び起こされたのです。そして、ローマ4章17節で、使徒パウロは、神がアブラハムに語った深遠な言葉に私たちの注意を向けさせます。「「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、」これはアブラハムに子がいない時に神が語った言葉です。しかし、神は約束をしていたのではなく、すでに実現している事実を宣言していたのです。 しかし神はアブラハムに約束をされたのではなく、すでに存在していることについての宣言をなさったのです。 さて、考えてみてください。アブラハムには子がなく、ほぼ百歳でした。彼は最初、不思議を抱き、「百歳の者に子が生まれるだろうか」(創世記17:17)と言いました。しかし、その後、彼は神を信じることを選び、不信仰によって神の約束を疑うことなく、信仰によって強くなり、神を賛美しました。彼は存在しないものをあたかも存在するかのように呼び出したのです。 信仰とは、物質界に現れる前に、霊的な領域で見るものを宣言することです。では、今あなたの人生に何を望みますか?それを口にし、主イエスの御名によって呼び出してください。それが自由にあなたのもとにやって来ると宣言してください。それはすでに霊的な領域で拡散された形で存在しています。あなたが呼び出すとき、それは確かな形となって集まり、あなたのものとなるのです。 聖書は、あなたは語ることを必ず所有すると言っています。(マルコ11:23)あなたが何かを宣言すれば、それはあなたに確立されるのです。それが御霊の法則です。宣言し、呼び出し、目の前で確立されるのを見てください。 祈り 愛する父よ、私の言葉に創造的な力と効力があることを感謝します。私は神の権威と支配のもとで働き、物事を存在へと呼び起こし、目に見えない現実を現わさせます。私は恵み、豊かさ、健康、勝利を宣言し、あなたの完全なる御心の完全な体験の中を歩みます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ロー マ 4:17-21) このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 (マルコ 11:23) まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 (2コリント 4:13) 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 Source link