収穫は今です | 御言葉の実在

2025年12月11日(木) 収穫は今です The Harvest Is Now 「 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(ヨハネ4:35) 主イエスは、今日でも一部の人々に残っている弟子たちの考え方を正されました。まさに収穫は未来にあるという考え方です。しかし収穫は今です。畑は収穫の時期を迎えています。主の言葉をもう一度考えてみてください。主はこう言われました。「目を上げて…畑はすでに白くなっている!」つまり、行動すべき時は今なのです。 あなたの周りには、福音を受け入れる準備ができている人々がいます。彼らは福音を受け入れる準備ができていないように見えなかったり、そう振る舞わなかったりするかもしれません。しかし、彼らの心の中では、神の真理を求め、渇望し、待ち望んでいるのです。これはローマ8章19節の御言葉を思い起こさせます。「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。」 あなたこそが、彼らを神の子の自由へと導くために待ち望まれている存在なのです。あなたが彼らを暗闇から光へ、サタンの力から神のもとへ導く者なのです(使徒26:18)人々が福音に興味がないと思い込まないでください。多くの人は、ただ誰かがそれを解き明かすのを待っているのです。その誰かがあなたです。彼らはあなたを通して、キリストの愛と恵みと憐れみを見、聞き、体験することを待っているのです。 御霊の洞察をもって目を上げると、あなたの学校、職場、家族、地域社会、都市、町、村、そしてオンライン上にも、福音のメッセージを広め、キリストの愛で多くの人生に影響を与える機会が見えてくるでしょう。収穫はまさにあなたのいる場所にあります。だから、準備を整え、敏感であってください。収穫は熟しているだけでなく、緊急を要し、刈り取る時は今なのです! 祈り 愛する父よ、私の目を開いて周囲の収穫を見させてくださり感謝します。この収穫の挑戦に、愛と信仰と大胆さと憐れみをもって応えます。私は主の畑で忠実な働き人としての立場に立ち、多くの人を救いに導きます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (マタイ9:37-38) そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」 (使徒8:29-31) 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。 (使徒26:16-18) 起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』 Source link

あらゆるプラットフォームを活用せよ | 御言葉の実在

2025年12月10日(水) あらゆるプラットフォームを活用せよ Use Every Platform 「…すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(1コリント9:22) 今日ほど世界が繋がった時代はありません。技術、メディア、旅行、通信がかつて想像もできなかったプラットフォームを開きました。魂を救う者として、あなたはこれらを流行ではなく道具、すなわち福音伝道の道具として見なすべきです。 使徒パウロはこの考え方を持ち、メッセージを損なうことなく多くの人々に届くようこの手法を適応させました。彼の目標は単純でした。あらゆる手段を用いて、すべての人でなくとも幾人かでも救うことでした。今日の「手段」にはソーシャルメディア、ブログ、テキストメッセージ、ポッドキャスト、メール、ラジオ、テレビが含まれます。あなたの声は今や、これらのプラットフォームを通じて足よりも速く届きます。それらを用いてキリストの救いのメッセージを広めてください。 聖書のたった一節、短い教えの動画、預言、あるいは口にされた一言が成し得ることを過小評価してはなりません。『御言葉の実在(Rhapsody of Realities)』のデジタル版を配信し、記事をあなたのステータスやタイムライン、人々がアクセスできるあらゆる場所に投稿しましょう。聖霊はあなたの努力に命を吹き込み、あなたが完全に理解することのない方法で人々の心に届くのです。 教会時代の終わりの時、全世界への福音宣教を全うする今こそ、神が与えてくださったあらゆるプラットフォームを活用してください。意図的であり、創造的であり、一貫して行動してください。あなたの賜物と才能と影響力を用いて魂を救ってください。 告白 私は福音宣教の機会とプラットフォームを最大限に活用します。キリストのために人々を導くことに、知恵と創造性と効果を発揮します。私の証を通して日々、大勢の人が救われます。ハレルヤ! 参照聖書 (箴言 11:30) 正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。 (マルコ 16:20) そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕 (1コリント9:19-23) 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。 Source link

福音の緊急性 | 御言葉の実在

2025年12月9日(火) 福音の緊急性 The Urgency Of The Gospel 「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」(ヨハネ9:4) 時間はあなたが持つ最も貴重な資源の一つであり、今この瞬間の緊急性は、それを賢く使うことを求めています。イエスはこのことを知っておられました。イエスは昼の間に父の御業を行うことを語り、時の緊急性と、私たちに与えられた機会が限られていることを明らかにしました。 今、私たちが自由に福音を宣べ伝える機会は、やがて失われる時が来ます。今、私たちが自由に通り抜けている扉も、いつの日か閉ざされるかもしれません。だからこそ、あなたは緊急性を持って行動し、福音を宣べ伝えなければなりません。今こそ、キリストの救いの光であなたの世界に影響を与えてください。 伝道に遅れれば、今日あなたから真理を聞く必要があった誰かが永遠の失いを得る可能性があります。その同僚、隣人、友人に二度と機会が訪れないかもしれません。あなたは彼らの光です。あなたは、彼らを暗闇から神の子らの栄光の自由へと導く、神の接点なのです。彼らを神なきままに一日たりとも過ごさせてはなりません。聖書は、この世で神もキリストも知らずに生きる者たちの希望のない状態を描いています。(エペソ2:12)彼らは絶望に沈み、滅びへと定められています。しかし、あなたが彼らの希望なのです。 今はのんびりとしたキリスト教の季節ではなく、大胆な行動の時です。すべての国々で福音の宣教を全うすべき時なのです。あなたの人生を天の緊急性に合わせてください。一瞬一瞬が重要なのです。すべての魂が大切なのです。ですから御霊に導かれ、時を把握してください。できるうちにできることをすべて行ってください! 主の言葉を思い起こしてください。「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」(ヨハネ9:4)夜は近づいていますが、今私たちは輝き、神の真理を宣言し、罪人を義へと導くのです。キリストの愛に駆り立てられ、使徒パウロが1コリント9章16節で述べたように、福音を宣べ伝えることは、私達に課せられた使命なのです。福音を宣べ伝えなければ、私たちはわざわいです。国々は収穫の準備が整い熟しています。私たちは実りを刈り入れているのです。 告白 私は福音の緊急性を認識し、迅速に行動します。神聖のタイミングに敏感であり、宣教し、輝き、魂を救うあらゆる機会を捉えます。私は遅らせず、沈黙もしません。ハレルヤ! 参照聖書 (2コリント6:1-2) 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。 (1コリント9:16) というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。  (ローマ13:11-12) あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。 Source link

あらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けた | 御言葉の実在

2025年12月8日(月) あらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けた Predestinated, Called, Justified And Glorified 「 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30) 今読んだことに注目してほしいと思います。私たちはあらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を与えられました。あらかじめ定められたとは何でしょうか?キリストにあってあらかじめ定められている者とは誰でしょうか?この定めは、福音を通してなされるものです。つまり、福音を聞く者は皆、福音を聞くためにあらかじめ定められていたのです。 召しは福音の中にあるのです。その召を受け入れるなら勝利するのです。神があらかじめ定められた者たちを召されたからです。だからこそ、神は私たちに「すべての国々、すべてのつくられたものに福音を宣べ伝えよ」と命じられたのです。信じて洗礼を受ける人は救われるのです。しかし、信じない者は滅びます。(マルコ16:15-16) しかし、ローマ8章1節で聖書は「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」とあります。なぜでしょうか?彼らは義と認められたからです。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」(ローマ5:1)義と認められるとは何でしょうか?それは無罪判決、つまり罪がないと宣言されることを意味します。 ですから、神の御前では、あなたは主イエスの御名と、神の御霊によって、洗われ、聖別され、義と認められています。(1コリント6:11)キリスト・イエスにあって福音を通して、あなたはあらかじめ定められ、召され、義と認められました。しかし、それだけではありません。あなたはまた栄光を与えられたのです。「…義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」ハレルヤ! あなたの人生は神聖の栄光に満たされ、美しく飾られています。主イエスはヨハネ17章22節で「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。…」と言われました。聖書が「私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。」(1ヨハネ4:17)と言うのも当然です。あなたはイエスのように、父なる神の栄光の輝きとなったのです。 このことを知ったなら、なぜあなたが病気で苦しむ必要があるのですか?貧しさ、弱さ、無知なことを拒絶してください。常にこう宣言してください。「私は栄光を受けました。ゆえに、私の体に病気や患いを許しません。キリストは私の内で大いなる方とされ、栄光を受けました。」ハレルヤ!これがあなたの自覚であるべきです。あなたはあらかじめ定められた者、召された者、義と認められた者、栄光を受けた者なのです!神に栄光をささげます! 祈り 義なる父よ、私の人生における神の永遠の計画に対する啓示に感謝します。私は召命の光の中を歩みます。私はあらかじめ定められ、召され、義と認められ、栄光を受けています!この世の何ものも、主の内にある私の運命を揺るがすことはできないと知り、私は大胆さと確信をもって生きています。私はあらかじめ定められた道を歩み、神聖の卓越性をもって機能し、日々主の完全な御心を成し遂げます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (エペソ1:11) 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。 (2テモテ1:9) 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、 (ローマ8:30 AMPC) 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め[罪の責めから解放されたと宣言されました]、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました[天の尊厳へと高められました]。 Source link

揺るがず、喜びを持って主に仕える | 御言葉の実在

2025年12月7日(日) 揺るがず、喜びを持って主に仕える Serve The Lord Steadfastly And With Joy 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。」(1コリント15:58) クリスチャンの人生は遊びではありません。それは真剣なものであり、霊的な原則に基づいています。私たちが実際に生きているのは霊的な歩みなのです。教会の携挙は今日、かつてないほど近づいています。ですから、毎日、純粋な心を奮い立たせ、自らを吟味し、クリスチャンとしての人生が御言葉にかなっていることを確かめなければなりません。 御言葉に集中し続けてください。聖書はこう言っています。「…これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。」(ヨシュア記1:7)御言葉があなたの思考と霊、思いと意見を支配するようにしてください。聖書はこう言っています。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)暗い路地を歩く時、あなたは道を照らすためにともしびを使います。それが御言葉です。それはあなたに命の道を示し、義の道に留まらせてくれます。 2テサロニケ2章3節は警告します。「…まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」そしてマタイ24章12節で主は言われました。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」だから、主への愛を熱く保ってください。あなたの霊的なものへの信仰と熱意を、何ものにも散らされてはいけません。 主を真に愛し、正しく仕える者と、そうでない者との間には違いが生じねばなりません。自らを顧みてください。心を見張ってください。あなたの霊を守ってください。愛のうちを歩んでください。主は、ヨハネ13章35節でこう言われたからです。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」 クリスチャンの人生は旅路です。毎日が愛のうちに歩む新たな日なのです。毎日が喜びをもって主に仕える新鮮な日です。主が光の中におられるように、毎日が光の中を歩む新たな日なのです。(1ヨハネ1:7)毎日が義の実を結び、義のわざを現す新たな日です。だから、揺るがずに、主に喜びをもって仕えることで、毎日を意味あるものとしてください。 祈り 愛する父よ、主を知り、仕える栄誉と、主の御名によって呼ばれる特権と祝福に感謝します。私は揺るがず、熱心に、動じることなく、常に主の御業にあふれています。私が情熱と目的をもって喜びの心で主に仕えるほど、主への愛はますます深まります。私は終わりのこの時代に、主の栄光を現し、主の義を明らかにしながら、私はますます輝き続けます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヘブル12:1-2) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 (ヘブル6:10-12) 神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。 (ガラテヤ6:9) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。 Source link

福音にあなたの情熱を置く | 御言葉の実在

2025年12月6日(土) 福音にあなたの情熱を置く Let The Gospel Be Your Passion 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16) イエス・キリストの福音は、救い、癒し、解放、そして人生を変革する神の力です。だからこそ、このメッセージはあなたが理解し、実践し、特に主の来臨がかつてないほど近づいている今、情熱を燃やして他の人々と分かち合うべきものなのです。 使徒パウロは、福音を恥じないと宣言しました。この言葉は深い確信と揺るぎない献身から生まれたものです。彼にとって福音宣教は選択事項ではなく、人生そのものでした。彼は福音のために生き、その進展のために死をも厭(いと)いませんでした。 使徒の働き20章22節から27節にある彼の感動的で心を揺さぶる言葉をお読みください。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」 今日の世界では迫害が多く、福音への大胆な証しはしばしば批判や無関心、深刻な脅威に直面します。しかし、それを乗り越えなければならないのです。拒絶や死への恐れが、あなたの声を沈黙させてはいけません。安楽があなたを怠惰にさせてはならないのです。世界はイエスを必要としており、あなたの人生を変えた同じ福音が彼らの唯一の希望なのです。 福音があなたの思い、言葉、追求するものを支配するようにしてください。魂を勝ち取り、天国を人で満たすことをあなたの願望としてください。それが真に重要なことなのです。福音を分かち合うたびに、あなたは神の力を解き放ち、聞き手の人生に影響を与え、変革するのです。たとえ、あなたが語る間、聞いていないふりをしたり、メッセージに反抗的に振る舞ったりする者でさえ、御言葉が彼らの心に蒔かれるにつれて、いつの日かその力に屈するでしょう。ですから、臆することなく福音を宣べ伝えてください。あなたが手を差し伸べるすべての魂は、永遠の勝利なのです。 祈り 尊き父よ、福音を私にお任せくださり感謝します。御霊の力と支配のもとで福音を大胆かつ熱心に宣べ伝える勇気を与えてくださり感謝します。私はあらゆる機会を捉え、主の愛と真理を他の人々と分かち合い、救いの力という良き知らせによって彼らの人生を変革します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (マルコ16:15) それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 (2テモテ4:2) みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 (1コリント9:16) というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 Source link

あなたはこのために生まれた | 御言葉の実在

2025年12月5日(金) あなたはこのために生まれた You Were Born For This 「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル記4:14NIV) 今、冒頭で読んだ聖句は、モルデカイがハマンのユダヤ人を絶滅という凶悪(きょうあく)で狡猾な計画に立ち向かうようエステルに挑んだ時の言葉の一部です。エステルは、モルデカイが彼女の目を開かせるまで、自分が神聖の計画の一部であることを知りませんでした。彼女が王妃としての地位は安楽のためではなく、ある目的のためでした。あなたにも同じことが言えます。 あなたの人生に偶然などありません。運命があなたの内で働いているのです。あなたの誕生、置かれた環境、そして神の王国における使命は、すべて神聖によって計画されたものです。あなたはこのような時のために生まれ、神の栄光のためにあなたの世界に影響を与え、変革をもたらすよう、神によって戦略的に配置されているのです。 神は、あなたを家族の中、職場、都市、国家の中に、魂を救う者、王国の大使として置かれました。あなたの教育、才能、資源、性格など、あなたに関するものは王国のために用いられるよう与えられています。必要な時に、声を上げることをためらわないでください。福音のために声を上げ、立場を明らかにし、信仰の中で前進すべき時に、恐れから退いてはいけません。キリストに生き、あなたの人生における神の目的を全うしてください。 2コリント5章15節はこう言います。「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」キリストの救いの良き知らせを熱心に広めることを、何ものにも妨げられたり、阻まれたりしてはいけません。それがこの地におけるあなたの第一の使命です。「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(2コリント5:18) 最も重要な時と場所で、あなたの光を輝かせてください。エステルのように「死ななければならないのでしたら、死にます。」と大胆に宣言してください。何故なら、主のために生き、主の御心と目的を果たすことは、何よりも価値があるからです。あなたはこれのために訓練され、召されたのです。今こそ行動し、パウロのように宣言する時です。「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒の働き20:24) 祈り 愛する父よ、このような時のために私を選び、備えてくださったことを感謝します。私は大胆に、準備を整え、喜んで、神の目的を果たします。私の光が明るく輝き、行く先々で王国のために永続的な影響を与えることを宣言します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (エステル4:13-16) モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」エステルはモルデカイに返事を送って言った。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」 (2テモテ1:8-9) ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、 (使徒20:22-24) いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 Source link

御霊と御言葉によって生きる | 御言葉の実在

2025年12月4日(木) 御霊と御言葉によって生きる Living By The Spirit And By The Word 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13) キリスト教とは、御霊と神の御言葉によって生きることです。あなたの命は神の御言葉から生まれました。全宇宙は神の御言葉によって創造されました。神はご自分の言葉によって、世界を創造されました。ヨハネ1章1節から3節にはこうあります。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」 神が、神の言葉に人格を与えていることに注目してください。すべてのものは、神の言葉であるイエスによって造られ、主なしには造られたものの一つも造られなかったのです。神は力の御言葉によってすべてのものを支え、その位置に保っておられます。(ヘブル1:3)この同じ御言葉こそ、ヨハネが「人となって私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)と語る方なのです。 主イエスは受肉した御言葉、生ける御言葉です。主が地を歩まれたとき、人間の体に宿っておられた神の言葉でした。さて、あなたも同じであることをご存知でしょうか?新生したあなたは、御言葉によって生まれ、御言葉の命を持っています。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(1ペテロ1:23) したがって、あなたは自分の血によって生きるのではなく、神の御霊と御言葉によって生きていることを意味します。イエスはこう言われました。「…『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4)また、それゆえに、「…たとい毒を飲んでも決して害を受けず、」とも言われたのです。あなたの命は血からではなく、御言葉から来たのです。冒頭の聖句をもう一度読み返してください。 また、ローマ8章11節はこう言います。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」これがキリスト・イエスにおけるあなたの実在です。神の御霊があなたの肉体を生かし、活力を与え、命を与えたのです。神性があなたの内に宿ったのです。 あなたは命と不滅へと招かれ、真理の言葉によって生まれました。(ヤコブ1:18)だからこそ、私たちは、キリスト教は宗教ではないと言うのです。キリスト教は御言葉による、御言葉を通しての、御言葉による命であり、御霊によるものです。キリスト教は、神の天の子らがこの地上で生きる超自然的な歩みなのです。ハレルヤ! 祈り 祝福された父よ、私を御言葉の生ける表現として造ってくださり感謝します。私は御霊によって機能し、神聖なる起源の現実の中を歩みます。私の人生は御言葉によって導かれ、御力によって支えられ、御臨在の栄光に満たされています。私は健康と知恵と力に満ち、あらゆる場所で超自然的な命を示します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ 1:12-14 NIV) しかし、イエスを受け入れたすべての人、イエスの御名を信じる人々に、神の子どもになる権利、つまり自然な子孫から生まれた子ども、人間の決定や夫の意志から生まれた子どもではなく、神から生まれた子どもを与えました。 みことばは肉となり、私たちの中に住まわれました。私たちは神の栄光、父から来られた独り子の栄光、恵みと真理に満ちているのを見てきました。 (ローマ 8:10-11 ESV) 10 しかし、キリストがあなたがたのうちにおられるなら、罪のためにからだは死んでいても、義のために霊は生きています。11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方が、あなたがたの朽ちるべきからだをも、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、いのちを与えてくださいます。 (ルカ 4:4) イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 Source link

神の恵みの福音 | 御言葉の実在

2025年12月3日(水) 神の恵みの福音 The Gospel Of The Grace Of God 「…神の恵みの福音をあかしする」(使徒の働き20:24) 神をほめたたえます!イエス・キリストの福音は宗教的なメッセージではありません。神の恵みの良き知らせです。それは神の人類への愛、好意、慈しみの宣言です。パウロは自身の全奉仕を、一つの中心的なメッセージに焦点を当てたものとして説明しました。すなわち、神の恵みの福音を宣べ伝えることです。 この同じ福音が最初にアブラハムに宣べ伝えられました。ガラテヤ3章8節はこう言います。「聖書は、…アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される」と前もって福音を告げたのです。」この祝福は単なる物質的なものではなく、御霊の約束と神の良きものの注がれる約束でした。それは預言的な形での恵みでした。 この契約の恵みを表すヘブル語は「ヘセド(hesed)」であり、神の慈愛、憐れみ、変わることのない恵みを表す言葉です。ダビデが『ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。』」(2サムエル記9:1)と語ったのも、この「ヘセド(hesed)」、つまり、契約に基づく恵みを指していました。イエス・キリストを通して、この恵みは今や信じるすべての人類に注がれています。 エペソ2章8節はこう言います。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」福音は救い、健康と癒し、解放、義をもたらしました。それは私たちがそれに値したからではなく、神が善い方だからです。神の慈愛は人々を悔い改めに導きます。(ローマ2:4)これが私たちが伝えるメッセージです。神は世を愛し、御子を遣わされました。それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためです。 恵みの福音は、罪に定めることについてではなく、義と認めることについてです。恵みの福音は、倒れた者を起こし、失われた者を栄光の相続へと招くことに関するものです。使徒の働き20章32節がこう記すのも当然です。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 祈り 愛する父よ、私に託された主の恵みの祝福された福音を感謝します。私は主の慈愛の分け与える者、主の憐れみの運ぶ者、主の救いの証人として、福音を大胆かつ熱心に宣べ伝えます。私は福音の恵みと祝福の満ちあふれるの中で歩みます。他の人々に大胆に福音を分かち合うことができますように、主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参考聖書 (ヨハネ1:16-17) 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。 (ガラテヤ3:8) 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。 (エペソ2:8-9 NIV) あなたがたは恵みによる、信仰によって救われたのです。これは、あなたがたから出たものではなく、神からの賜物です。9 それは、行いによるのではないので、だれも誇ることができないのです。 Source link

魂の価値 | 御言葉の実在

2025年12月2日(火) 魂の価値 The Value Of A Soul 「人は、たとい全世界を得ても、いのち(魂)を損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ8:36) 神にとって、一つの魂は世界のあらゆる富や資源、権力よりも価値があるものです。これは驚くべき真実であり、神の王国の価値の実在です。人間の魂の価値に匹敵(ひってき)するものなど何もないのです。聖書はこう記しています。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 主イエスは、この世の制度や建物や植物のために死なれたのではありません。主は人のために死なれたのです。あなたが出会うすべての魂には永遠の価値があります。経歴や行動に関わらず、一人ひとりが神にとって深く大切な存在なのです。その価値はイエス・キリストの血によって示されています。「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18-19) あなたが魂の価値を真に理解した時、伝道は単なる義務を超え、愛の使命となります。あなたは失われた者たちのために涙を流し、彼らのために祈り、彼らに届くために自分の居心地の良い場所を離れることでしょう。悪魔は人々が名声、富、快楽に気を取られ、永遠を忘れることを望んでいます。しかし神の子たちとして、あなたは表面を超えて見なければなりません。すべての魂を取り戻されるのを待つ宝物として見てください。 魂の価値をさらに知らせるために、聖書はこう言っています。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7) 考えてみてください。一人の罪人が悔い改めることで天全体が喜ぶなら、私たちがその喜びを何度も繰り返すためにどれほど努力すべきでしょうか。ですから、魂を救うことを習慣とし、生き方としてください。滅びゆく運命を変えてください。人々の魂を暗闇から光へ、サタンの力から神のもとへ導き出してください。これほど満たされるものはないのです。 祈り 天の父よ、人々が神の御目で見られるように、私の目を開いてくださり感謝します。魂の真の価値を知り、認識できるように助けてくださり感謝します。この真理により、失われた者たちへの憐れみが私の心を燃え立たせます。私は熱心に福音を宣べ伝え、彼らを闇の支配から主の驚くべき光へと移すことができます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ルカ15:3-7) そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 (ヨハネ 3:16-17) 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 (ヤコブ5:20) 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。 Source link