真理にあって歩む | 御言葉の実在

2026年3月15日(日) 真理にあって歩む Walking In The Truth 「 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」(3ヨハネ1:4) 使徒ヨハネの書簡において、真理は中心的な主題でした。第一ヨハネの手紙だけでも、彼は「真理」という言葉を少なくとも十回使用しており、その重要性を示しています。第三の手紙では、兄弟たちが、他の人々が真理のうちを歩んでいると証しするのを聞いて、喜びを表明しました。彼はこう宣言しました。「わが子らが真理のうちを歩んでいると聞くことほど、わたしの喜びを大きくするものはありません。」これは驚くべきことです! なぜヨハネにとって真理がそれほど重要だったのでしょうか?それは主イエスご自身が真理の体現者だからです。神の言葉は真理です。(ヨハネ17:17)ヨハネ1章14節はこう記しています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」そして、さらに17節はこう記しています。「というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」 主がヨハネ14章6節で「わたしは道であり、真理であり、いのちである…」と言われたのも当然です。真理は単なる原則や抽象的な思想ではなく、キリスト・イエスというお方そのものです。したがって、真理のうちを歩むとは、キリストのうちを歩み、御言葉によって生きることを意味します。礼拝においても、真理は不可欠です。ヨハネ4章23節から24節はこう言います。「しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」 父なる神は、その生涯が真理に一致する礼拝者を求めておられます。そしてこれを可能にするために、神は私たちに聖霊、すなわち真理の御霊を与えてくださいました。「しかし、真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れるであろう」(ヨハネ16:13)。御霊に身を委ねれば、決して惑わされたり誤った道を歩んだりすることはありません。御霊はキリストのものを受けて、あなたに明らかにしてくださいます。なぜなら、キリストは真理だからです。(ヨハネ16:14) ですから、真理のうちを歩むとは、単に正直に生きる以上のことです。それはキリスト、キリスト、御言葉、真理の御霊の導きに一致して生きることを意味します。そして、私たちは真理から出た者で、真理のうちを歩むのです。ハレルヤ! 祈り 愛する父よ、真理を知り、真理の中を歩むという祝福を感謝します。私を主の完全な御心の中で歩み、地における主の目的を果たすために、日々私を導いてくださる真理の御霊に感謝します。私の人生は、今日そして永遠に主の栄光のためにあります。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ヨハネ8:32) そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 (ヨハネ15:26) わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。 (ヨハネ17:17) 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。 (3ヨハネ1:3-4) 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。 Source link

徳を高める知識 | 御言葉の実在

2026年3月14日(土) 徳を高める知識 Knowledge That Edifies 「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、…加えなさい。」(2ペテロ1:5) 神の言葉に対する知識の増し加わりは、人生における一貫した成長、進歩、生産性、そして影響力にとって極めて重要です。それゆえ聖霊は使徒ペテロを通して、信仰と徳に知識を加えるよう私たちに告げているのです。 興味深いことに、冒頭の聖句で「知識」と訳されている語は、ギリシャ語の「グノーシス(gnosis)」であり、これは研究や情報を通じて得られる科学的あるいは一般的な知識を指します。これは啓示による知識ではなく、読書や研究、学習によって集める情報です。 ですから本質的に、主は「無知であってはならない」と語っているのです。あなたの心を開け、多才多芸になりなさい。あらゆる事柄についてもう少し学んでください。学校で試験のために学んだこと以外は何も知らず、精神的に停滞したままの人々がいます。それは神があなたのために用意された計画ではありません。神はあなたが勤勉で、ますます知識を深めることを望んでおられます。知識は力を与えます。知識はあなたに優位性をもたらします。 ですから、聖書を学ぶことを意図的に行い、たまにちらっと見るだけの偶然的なものではなく、目標を設定し、あなたの生活様式として確立することを決意してください。有用な情報で思考を築き上げ、視野を広げてください。これは、世のメディアが流布する嘘や欺瞞、恐怖に生活を浸すためにニュースを追うことを意味するのではありません。むしろ、あなたの信仰を築き上げ、強める知識で心と思考を満たしてください。これこそが、あなたの人生に加えるべき知識です。 祈り 愛する父よ、私の心を満たし、日々勝利のうちに生きるための御言葉の知識を感謝します。御言葉を学び、思い巡らす中で、私の人生に倍増する主の恵みと平安に感謝します。それにより、私の人生と奉仕において、ますます実り豊かで、生産的で、効果的な者とならせてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言 18:15) 悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。 (ホセア書 4:6) わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。 (コロサイ1:9) こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 (2ペテロ1:2-3) 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 Source link

聖書的でない定めに注意せよ | 御言葉の実在

2026年3月13日(金) 聖書的でない定めに注意せよ Beware Of Unscriptural Ordinances 「もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、」(コロサイ2:20) 今日の教会には、生まれ変わる前に呪術や偶像礼拝、儀式に触れた人々がいます。悲しいことに、彼らの中には神の言葉を正しく教えられていない者もおり、そうした背景から来た慣習が今もクリスチャン生活に影響を与え続けています。多くの人々が今も、霊的な力や霊との接触を得るために、オイルやハンカチ、マントル、お守り、「聖水」などの物質的な媒介物を信じ、使用しているのです。 やがて、こうした人々の一部は牧師や教会の指導者となり、同じ慣習をキリストの体である教会に持ち込みました。彼らは神の民を信仰において物質的なものに依存させ、「これを持ち歩け、これを飲め、これで洗いなさい」と教えました。しかし聖書はそう教えていません。キリスト教は物事ではなく、イエス・キリストを通しての生ける神との関係なのです。 音楽と礼拝においても同様のことが起こりました。偶像礼拝の踊りを教会に持ち込んだ者たちがいたのです。かつて悪魔に捧げられていた踊りです。しかし神に感謝します。真の礼拝に関する神の言葉の正しい教えを通して、今やその全てが変わりつつあります。真の霊的な礼拝とは、肉的な興奮や娯楽ではなく、御霊を通して捧げられる霊的な捧げ物なのです。 したがって、真の礼拝は物理的な物や肉的な見せ物ではありません。聖霊に導かれて、あなたの心が神へと注ぎ出されることです。神と繋がるために聖水や油、その他の物理的な媒体は必要ありません。神は御霊によってあなたの中に生きておられます。 ですから、御言葉に留まってください。信仰の言葉、手を上げる行為、心からの賛美の歌、これらが御言葉に従って神に仕えるものです。神の言葉を無効にする、聖書に根拠のない人間の伝統に惑わされることを拒んでください。 祈り 愛する父よ、私は心から、霊と真理をもって主を礼拝します。感覚に支配されることを拒みます。私の信仰は主の御言葉に根ざしているからです。主の住まいとなる特権を、また常に真理へと導いてくださる聖霊との交わりを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (コロサイ2:8) あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。 (コロサイ2:20-23) もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。 (ピリピ3:3) 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。 Source link

イエスの主権への真の服従 | 御言葉の実在

2026年3月12日(木) イエスの主権への真の服従 True Submission To The Lordship Of Jesus 「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ4:7) あなたが、イエスの御名の主権への真の服従を理解するまでは、あなたが直面する状況や課題は変わらないかもしれません。これは一部のクリスチャンの人生における欠けている部分です。彼らは言います。「祈りも断食もしたのに、私の人生における神の力はつかみどころがありません。これ以上何をする必要があるのでしょうか?」マタイ17章の例を挙げましょう。 聖書は、一人の男が主イエスの前にひざまずき、悪霊に苦しめられている息子を救ってほしいと懇願した様子を伝えています。(マタイ17:14-16)主はこう答えられました。「…ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」そして、イエスが悪霊をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。」(マタイ17:17-18 NKJV) 弟子たちは悪霊を追い出し、病人を癒す権威を与えられていました。(マタイ10:1)それゆえ、彼らが少年から悪霊を追い出せなかったことは彼らにとって不可解なことだったのです。イエスが成功裏に悪霊を追い出すのを目撃した後、彼らは苛立ちながら、なぜ自分たちにはそれができなかったのかと、ひそかにイエスに尋ねました。 すると主はこう説明されました。「…あなたがたの信仰が薄い(不信仰)からです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでもあなたがたにできないことはありません。ただし、この主のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」」(マタイ17:20-21)主の言葉に注目してください。そこには真の祈りと断食の本質に関する重要な真理が示されています。 悲しいことに、多くの人はこの点を見失っています。彼らは悪魔を追い出す力を得るために断食しますが、ここでの主旨(しゅし)はそこではありません。祈りと断食がもたらす効果の一つは、あなたがイエスの主権により従順になることです。あなたが主へ自分を委ねるほど、主の力はあなたを通してより豊かに流れるのです。 祈り 愛する父よ、御言葉の啓示に感謝します。私は主の主権に完全に身を委ねます。主が私の満足であり力であることを認めます。主の力と恵みが妨げられることなく私を通して流れ、病人を癒し、悪霊を追い出し、死者をよみがえらせ、福音の中で力強い御業を行います。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ピリピ2:9-11) それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 (マタイ17:19-21) そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」 (ローマ6:13) また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。 Source link

御言葉の知識によって信仰を適用する | 御言葉の実在

2026年3月11日(水) 御言葉の知識によって信仰を適用する Apply Faith With Knowledge 「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、…」(ホセア4:6) 冒頭の聖句にある預言者の言葉を観察してください。神は、御民が信仰の欠如によって滅びるとは言われず、知識の欠如によって滅びると言われたのです。たとえこの世のあらゆる信仰を持っていたとしても、その信仰が無知の中で用いられるならば、あなたは敗北するでしょう。知識を伴わない信仰は誤った方向へ導かれ、実を結ばなくなります。これこそが、神の言葉の知識が極めて重要である理由です。 主イエスが洗礼を受けた直後に荒野で受けた誘惑を考えてみましょう。その直前に聖書はこう記しています。「聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」』(ルカ3:22) しかし、サタンは直後にイエスを誘惑し、「もしあなたが神の子なら、これらの石をパンに変えなさい」と言いました。(マタイ4:3)主イエスは信仰を持っておられました。石をパンに変えるよう命じることもできたのです。しかし主は知識を用いられました。主はその指示の背後にある声が神ではなくサタンからのものであることを理解されたのです。それゆえ、イエスは御言葉をもって答えられたのです。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4) 再びサタンは誘惑し、「『御使いがあなたを支える』と書いてある」と言って、神殿の頂上から飛び降りるよう促しました。悪魔は聖書を誤って引用ました。しかし、主は御言葉を知っており、悪魔が御言葉の誤用を見抜き、こう答えられました。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(マタイ4:7) だからこそ、あなたは無知のうちに歩んではならないのです。神の光なしに神と共に歩むことはできないからです。神の光こそが御言葉であるのです。詩篇119篇105節はこう告げます。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」知識は信仰に方向性と安定性、効果をもたらします。 知識がなければ、強い信仰でさえ誤用され、過ちへと導かれるのです。しかし知識があれば、あなたは支配と勝利と真理の中を歩むのです。使徒ペテロが第二の手紙で言ったことを思い出してください。「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、…加えなさい。」(2ペテロ 1:5)常に知識をもって信仰を働かせてください。 祈り 愛する父よ、私の霊を満たし信仰を導く御言葉の知識に感謝します。私は無知のうちに歩むことも、敵の欺きに惑わされることも拒みます。御言葉を通して、私の信仰は正しく導かれ、効果を発揮し、絶望的な状況さえも変えていきます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (箴言 11:9) 神を敬わない者はその口によって隣人を滅ぼそうとするが、正しい者は知識によって彼らを救おうとする。 (2ペテロ1:2-3) 神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。 (コロサイ1:9) こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 Source link

イエスの主権に対する意識 | 御言葉の実在

2026年3月10日(火) イエスの主権に対する意識 The Consciousness Of His Lordship 「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒の働き20:32) あなたがキリストにある今、それは全く新しい人生、イエスの主権のもとでの人生です。しかし、多くのクリスチャンは日常生活において主の主権を十分に自覚していません。イエス・キリストがあなたの人生の主であると言うとき、それは主の言葉があなたの人生における最高の権威となったことを意味します。 キリストの主権は、まず御言葉の主権として現れます。あなたは御言葉の権威に従わなければ、主の支配のもとで機能することはできません。聖書は御言葉を「恵みの言葉」と表現しています。この御言葉こそが、あなたを人生において築き上げ、強め、キリストにあるあなたの相続分において確立するのです。 これこそが、あなたがどこにでもいられるわけではなく、どんな言葉でも聞けるわけではない理由です。すべての説教が成長をもたらすわけではありません。恵みの御言葉はキリストを現し、主の成し遂げられた御業を明らかにし、信仰と大胆さと、あなたが受け継ぐべきものの自覚を授けます。これこそが、イエスの主権のもとで効果的に機能する力を与えるのです。 ですから、御言葉の権威のもとに絶えず生きることを決意してください。御言葉に従うほどに、あなたはイエスの主権の自覚の中で機能し、その栄光がますます増し加えられて、あなたの生涯に現されるようになるのです。 告白 私は神の御言葉の権威に完全に身を委ねます。神の恵みの言葉は、私を築き上げ、強め、キリストにある私の相続分の中に位置づけるのです。私は御言葉を行う者なので、成長し、進歩し、神の栄光をますます現しています。神の御言葉は私の命であり、私のすべてです。イエスの御名によって告白します。ハレルヤ! 参照聖書 (コロサイ3:16) キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 (ヤコブ1:21) ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。 (ヤコブ1:22-25) また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。 Source link

クリスチャンは呪われることはできない | 御言葉の実在

2026年3月9日(月) クリスチャンは呪われることはできない The Christian Can’t Be Cursed 「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(1ペテロ3:9) 人生の状況に不満を漏らす人々がいます。物事がうまくいかないのは、おそらく呪いにかかっているからだと考えているのです。しかしクリスチャンであるなら、神の言葉は明確です。あなたは呪われることはないのです。家族の呪いも、先祖代々の呪いも、敵からの呪いも、あなたに対して効力を発揮することはできないのです。あなたの人生で働き、勝利を収めることを許されているのは祝福だけです。 冒頭の聖句で読んだことを改めて考えてみましょう。あなたは祝福を受け継ぐために召されたのです。さらに聖書はこう言っています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」(2コリント5:17) あなたは新しい被造物であり、サタンとそのすべての働きに優っています。したがって、呪術師やブードゥー教の司祭に脅されたとしても、何の違いもありません。あなたに対して効力を発揮する呪術や占いは存在しないのです。聖書はこう言っています。「まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。…」(民数記23:23) このことを理解してください。知られざる真理は無力のままですが、知られた真理はあなたを勝利に導くのです。神があなたについて語られたことを知らなければ、恐れと束縛の中を歩むかもしれません。しかし御言葉の正確な知識はあなたを自由にするのです。「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32) あなたから呪いを「解く」者など必要ないのです。キリストはすでにあなたのために呪いを負われました。そしてキリストにおいて、あなたは新しく生まれ、神の子の栄光の自由へと導かれたのです。あなたは永遠に自由なのです!考えてみてください。もしあなたが呪われていたなら、誰がその呪いを執行するのでしょうか?悪魔でしょうか?あなたは悪魔とその手下の悪霊たち全てを合わせたよりも強い力を持っているのです。 では、神はどうでしょか?神は決してご自身の子たちに呪いを与えられません。呪いのもとで生きているかのように振る舞うクリスチャンは、神の言葉を無視したり軽んじたりする者だけです。御言葉を怠り、拒み、軽んじることは、神の真理の覆いから自ら離れることであり、それ自体が呪いとなります。聖書はこう言っているからです。「みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、」(箴言13:13) しかしあなたがキリストにあって、御言葉に従い聖霊に導かれている限り、あなたは触れることのできない存在であり、祝福の中を歩むだけです。あなたは勝利のうちに生き、キリストにある相続の権利の大胆さをもって歩み、祝福され、支配する力を与えられています。神に栄光をささげます! 祈り 愛する父よ、キリストにある祝福の命を私に与えてくださり感謝します。私は闇の影響をはるかに超えて生き、御言葉の自由の中を歩みます。キリストにある私の義の支配と勝利の中を歩み、祝福され、支配する力を与えられています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (民数記 23:19-23) 神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。彼らをエジプトから連れ出した神は、彼らにとっては野牛の角のようだ。まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。 (エペソ 1:3) 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 (ガラテヤ 3:13-14) キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。 Source link

祝福と栄光、卓越の人生 | 御言葉の実在

2026年3月8日(日) 祝福と栄光、卓越の人生 A Life Of Blessings, Glory, And Excellence 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、神に捧げられた民、神ご自身が買い取られた特別な民です。それは、あなたがたを暗黒の中から召しだして、その驚くべき光の中に入れてくださった方の素晴らしい御業をあなた方が宣べ伝える[その方の徳、完全性を現し示す]ためなのです。」(1ペテロ2:9AMPC) クリスチャンとして、あなたは病気や弱さや悪霊に支配されることはありません。なぜなら、キリストにある並外れた命を授かっているからです。この世の原理に縛られるのではなく、それらの上に生きるのです。使徒ペテロの表現が素晴らしいと思います。彼はこう言いました。「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」 (2ペテロ 1:4) あなたは神の性質にあずかる者として、この世の堕落や退廃、闇をはるかに超えて生きています。あなたはサタンや、この闇の世の腐敗した影響力よりも優位にあるのです。あなたの人生は祝福と栄光と徳に満ちています。徳とは卓越性です。あなたはキリスト・イエスにおいて卓越した人生を歩んでいるのです。 冒頭の美しい聖句を書いた使徒ペテロのことを考えてみてください。彼はかつて恐怖に震え、小さな少女の前で主イエスを否んだことがあります。彼の信仰は不安定でした。しかしペテロは聖霊を受けた後、何かが変わりました。使徒の働き2章41節に記されているように、彼の説教を通して一日で三千人の魂がキリストに心を捧げたほど、彼は内なる神の命を驚くべき栄光と大胆さをもって表現し、現したのです。 何が彼を変えたのでしょうか?それは、私たちがキリストにある栄光の命の啓示へと至ったことでした。なんと素晴らしい命でしょう!あなたの中には失敗も敗北も闇もありません。祝福と卓越と完全さと栄光だけがあるのです。1ペテロ3章9節は、あなたがたは恥や弱さではなく、祝福を受け継ぐために召されたと語っています。これがキリストにおいてあなたが受けた命です。それは病気や疾患、悪霊、貧困、失敗、死を支配する命なのです。神に栄光をささげます! 告白 父よ、キリスト・イエスにおいて私に与えてくださった栄光に満ちた命に感謝します。その命は祝福と卓越、健康と勝利、力強さに満ちた命です。私は主の驚くべき光の中を歩み、この世界に主の徳と完全さを示します。私は病気や敗北、悪魔の影響に勝り生きています。なぜなら私はキリストの中に生きるからです。イエスの御名によって祈ります。ハレルヤ! 参照聖書 (2ペテロ1:3-4) というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。 (コロサイ1:12-13) また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 (エペソ1:3) 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 (ヨハネ17:22) またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。 Source link

神性の表れと体現 | 御言葉の実在

2026年3月7日(土) 神性の表れと体現 The Expression And Embodiment Of Divinity 「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、」(コロサイ1:19) 主イエスは偉大で崇高な宗教指導者以上の存在です。神性のすべてが人となって現れた方、神性の体現者なのです。主イエスについて語る時、私たちは神について語っているのです。テトス2章13節から14節は主を「大いなる神」と表現しています。「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むように…。」 また主は、あらゆる知恵と知識のすべてである方です。コロサイ2章3節にこう記されています。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」ハレルヤ!主がガリラヤ、ナザレ、エルサレムの街を歩まれた時、それは知恵そのものが歩まれたのであり、知恵が人格化された姿であり、神が人となってこの地を歩まれたのです。 この理解があなたの霊に明かされる時、あなたは主イエスと同一視され、御名によって祈ることの真の意味が分かるでしょう。イエスの御名には天においても、地においても、地の下においても、すべての権威があります。そして黙示録において、聖書は驚くべきことを告げています。使徒ヨハネが全能の神の偉大な御座を見た時、その上に座しておられる方は主イエスでした。これが主の真の御姿を示しています。 旧約聖書では、神はイスラエルに様々な御名を通して御自身を現されました。主はわが癒し主(ヤハウェ・ラファ)、主はわが義(ヤハウェ・ツィデケヌ)、主はわが平安(ヤハウェ・シャローム)などです。しかし聖書は、神が御名をすべて超えて御言葉を高く掲げられたと記しています(詩篇138:2)では御言葉とは誰でしょうか?まさにイエス・キリストです。イエスは御言葉が人となった方です。 聖書はこう言います。「…それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:10-11)イエスが真に誰であるかを知るとき、私たちはイエスを愛せずにはいられません。イエスを知ることは主を愛することです。なぜなら、イエスは神の御姿、栄光、義、愛の現れそのものだからです。神をほめたたえます! 祈り 主イエスよ、主を礼拝し、崇めます。主は天地の主、全能にして主権者、最も偉大なる方。栄光の神、世界の救い主、義と永遠の王です。主は恵み深く、栄光に満ち、変わらぬ愛に満ち、真実で、永遠に公正なるお方です。私は主の御名によって勝利のうちに生き、主は私の命、私の光、私のすべてです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (コロサイ2:9) キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。 (ヨハネ14:9) イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。 (ヘブル1:1-3) 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 (ピリピ2:9-11) それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。 Source link

義の意識 | 御言葉の実在

2026年3月6日(金) 義の意識 Righteousness Consciousness 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21) 使徒パウロは聖霊によって、聖書における最も驚くべき啓示の一つを明らかにしています。すなわち、神は罪を知らないイエスを、私たちのために罪とされたのです。それは私たちが、イエスにおいて神の義とされるためです。驚くべきことです!イエスは比喩的な意味で罪のささげものや罪の犠牲とされたのではありません。むしろ、イエスご自身が罪の現れそのものとされたのです。十字架の上で、イエスは罪そのものとなられたのです。 これは単に神によって罪のない者と宣言された以上の意味を持ち、より深い真理を伝えています。イエスはご自身の罪なき状態を自覚しておられたのです。イエスは「罪なき意識」を持っておられました。ご自身に罪の痕跡(こんせき)が一切ないという自覚をもって生きておられたのです。 これこそ、義の自覚が極めて重要なのです。主イエスがご自身の罪なき状態を自覚して生きておられたなら、その義であるあなたもまた、御子におけるご自身の義を自覚して生きるべきなのです。主は単にあなたを義とされただけでなく、神の義そのものとして造り変えられました。あなたは神の義の現れそのものとなったのです。あなたは神の義であり、人間の肉体をまとって歩み、語る義なる存在なのです。 この真理を理解する時、生き方が根本から変わります。あなたはもはや赦された罪人と見なすことなく、神の完全さ、純潔さ、栄光をこの地で表わす神の真の子どもとして見るようになります。これは単なる法的立場を超えた、あなたの本質的な現実です。イザヤ書54章17節で神はこう言われました。「…わたしから受ける彼らの義である。…」 パウロがピリピ3章8節から9節で「…それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」と語ったのも当然です。キリストにあるあなたの義を常に自覚してください。その自覚が人生における大胆さと逆境への支配権を与えるのです。 祈り 愛する父よ、キリストにある私の義の啓示に感謝します。私は毎日、自分が主の義であり、聖く、非難されることなく、義と認められているという自覚を持って生きています。私は支配権のうちを歩み、主の性質を現し、私の人生に対する主の完全な御心を成し遂げます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。 参照聖書 (ローマ5:1) ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 (ローマ5:17) もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。 (1コリント1:30) しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 Source link