2025年11月23日(日)
赦しと癒し
Forgiveness And Healing
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)
上記の聖句には、多くの人々が見落としがちな神聖な真理が示されています。それは癒しが祈りからだけでなく、私たちの心の正しさ、キリストの体における互いへの謙遜と愛からももたらされるという事実です。例えば、キリストにある兄弟姉妹を傷つけたなら、すぐにこう言うべきです。「ごめんなさい。私の言い方は間違っていました。あなたを誤解していました。赦してください。」
これこそが互いに過ちを告白するという意味です。それは、あなたが厳しく話してしまった時、誰かを誤解した時、あるいは心に怒りを抱え続けた時、それを認めるほどに謙虚であることです。また、他人を非難したり批判したりする代わりに、彼らのために祈ることです。聖書は、そうするとき癒しへと導かれると語っています。冒頭の聖句をもう一度読んでみてください。
これは、何年も前にR.W.シャンバック(R.W. Shambach)が語った驚くべき証しを思い出させます。彼が牧会していた教会に二人の女性がいました。一人は数えきれないほどの祈りにもかかわらず治らない甲状腺腫を患っていました。もう一人は、誰が手を置いても聖霊を受けることができませんでした。多くの人には知られていませんでしたが、この二人の女性は互いに長年の恨みを抱えていたのです。
ある日、礼拝中に牧師は二人の様子を観察し、介入すべきと促されました。牧師は大胆に二人を呼び出し、和解を促したのです。涙ながらに互いを赦し抱き合った瞬間、奇跡が起きました。甲状腺腫は消え、もう一人の女性は異言を話し始めたのです。追加の祈りは必要ありませんでした。なんと深い教訓でしょうか!
時に、人々の奇跡を妨げているのは祈りの不足ではなく、その態度なのです。おそらく彼らは恨みや苦い思いを抱えていたり、愛をもって歩むことを拒んでいるのでしょう。神はあなたがキリストにある兄弟姉妹をどう扱うかに注目しておられます。すべての人に温かく愛をもって接してください。決して嫌いな人などあってはなりません。
ある人々は他の人々には喜んで挨拶し交流するのに、特定の人になると態度が一変します。それはキリストのやり方ではありません。キリストは私たちに互いに愛し合い、惜しみなく赦し、すべての人と平和に生きるよう呼びかけています。恨みを抱くことを拒みなさい。聖書が言うように、憎む者、迫害する者、悪意をもってあなたを利用する者たちのために、すぐに赦し、さらに速やかに祈りなさい。それが健全で完全な人生、そして尽きることのない祝福への道なのです。ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、御言葉と聖霊が私の中に生み出してくださった謙遜と愛に感謝します。私はすべての人に対して愛をもって歩み、すぐに赦し、他者のために執り成す用意があります。私は癒しと回復と平和の器であり、私の心は主の恵みで満たされています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(コロサイ3:12-13)それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
(マタイ5:23-24)だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
(エペソ4:32)お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。



