2025年10月31日(金)
主に向かってあなたの手を上げる
Lifting Your Hands To The Lord
「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」(詩編141:2)
礼拝中に手を上げるよう求められても、機械的に応じるか全く応じない人々がいます。それは霊的な事柄を訓練されていないためです。もし神に向かって手を上げる霊的な意義を真に理解していれば、面倒が伴うそんな行為にはならないことでしょう。
何年も前、ある集会で私は重要な観察をしました。癒された人々の多くが、痛みのために手を上げることができなかったのです。これは私の注意を引き、なぜこれほど多くの人々がこの問題を抱えているのか、神の御霊に尋ねました。すると御霊はこう言われました。「私は彼らに手を上げて礼拝するよう命じた。すべての人が聖なる手を上げて祈るようにと教えたのに、彼らは従わなかったのです。」何年も後、彼らは努力や痛みなしには手を上げられなくなっていたのです。
ここから学んだ教訓はこうです。もし彼らが神の教え通り、定期的に手を上げて礼拝していたなら、このような制限は生じなかったことでしょう。しかし、彼らに癒しをもたらした神の恵みに感謝します。祈りや主への礼拝において、手を上げる行為が不要だ、あるいは恥ずかしいことだなどと考えてはいけません。神に向かって手を上げる行為は、信仰の行為であり、霊的な応答と御霊への従順の現れなのです。
クリスチャンになる前、手を上げるのが苦痛だったとしても、礼拝の中で主に向かって手を上げる練習を続けてください。そうすることで、あなたは御言葉に基づいて行動しているのです。やがて、その同じ手が、労苦もなく痛みもなく、ますます高く上げられるようになるでしょう。ヘブル12章12節から13節はこう言います。「ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい(上げなさい。)また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。…いやむしろ、いやされるためです。」
神の子たちの多くが肉体的に苦しむのは、何か本質的に間違っているからではなく、御言葉に従うことを怠り、サタンがその隙につけ込むからです。ですから、御言葉に基づいて行動することを学びましょう。礼拝において、あなたの霊があなたの体を訓練するようにしましょう。賛美の中で手を上げ続けるなら、あなたは想像もできなかったほどの栄光を人生で経験することでしょう。
祈り
愛する父よ、畏敬と愛をもって手を上げてあなたを礼拝する特権と祝福に感謝します。主のような方はおられません。主は偉大で力強く、万物の王、すべての肉なる者の御神です。唯一不滅を保ち、近づきがたい光の中に住まわれる方、誰も見たこともなく、また見ることもできない方、主に永遠の栄光と力がありますように、イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(詩篇 134:1-2) さあ、主をほめたたえよ。主のすべてのしもべたち、夜ごとに主の家で仕える者たちよ。聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。
(哀歌 3:41) 私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。
(1 テモテ 2:8) ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。



