2025年10月21日(火)
礼拝の聖なる表現
Holy Expressions Of Worship
「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24)
神は霊です。 神を礼拝する者は霊と真理をもって礼拝しなければならないと、聖書は述べています。しかし、肉体的に行う特定の行為が、あなたの霊を活性化させるのに役立ちます。
例えば、あなたが意識的に、また意図的に祈るためにひざまずくとき、あなたの霊は活性化されます。神がそうするように命じられたのは、その行為によって即座に認知的な状態から霊的な状態へと移され、聖書の言葉を成就するためです。詩篇95篇6節はこう言います。「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」
ダニエルも祈りのためにひざまずきました。「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。…彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」(ダニエル6:10)主イエスでさえ祈るためにひざまずかれました。「そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。」(ルカ22:41)
あなたの主への祈り、賛美、礼拝において手を上げる時も同じことが起こります。これらの身体的行為は、あなたを自然の領域から霊的領域へと導きます。それらは畏敬、称賛、礼拝の聖なる表現なのです。聖書はこう言います。「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(1テモテ2:8)
ソロモン王は神殿奉献の際に手を挙げました。「こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終わった。彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた主の祭壇の前から立ち上がり」(1列王記8:54)これらの例は、たとえ肉体的な行為であっても、特定の畏敬の念を示す行動の重要性と霊性を示しています。
これらの霊的な姿勢を決して軽んじてはなりません。それらはあなたの焦点を、肉の気晴らしから御霊の現実へと移行する助けとなるのです。それらはあなたの霊と接触するのに役立ち、あなたは主とのより深い交わりへと燃え上がり、目覚めるようになります。詩篇作者の言葉を思い起こしてみましょう。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」(詩篇141:2)ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、霊と真理をもって主を礼拝することを教えてくださり感謝します。私は自分の体を義の器として捧げ、礼拝と祈りと賛美において、それを私の霊と一致させます。私が手を上げ、ひざまずくとき、私の霊は主とのより深い交わりへと奮い起こし、目覚めさせられます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ローマ 12:1) そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
(ルカ 24:50) それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
(1テモテ 2:8) ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。