2026年2月17日(火)
あわれみに満ちて鼓動する心
A Heart That Beats With Compassion
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(マタイ5:4)
冒頭の聖句において、主イエスは悲しみから嘆く人々を指していたのではなく、むしろ預言者たちの言葉を用いて預言的に語っておられたのです。旧約聖書において預言者たちが嘆いたのは、個人的な悲嘆のためではありませんでした。彼らは神の民の状態、例えば彼らの不従順、捕囚状態、あるいは霊的な衰退のために嘆いたのです。彼らはとりなしの祈りの中で叫び、人々の魂と神の御名に対する栄光のために心を痛めたのです。
ですから、主イエスが「悲しむ者は幸いです」と言われたとき、それは神の心を動かすものによって心を動かされる人々を指して言われたのです。この種の嘆きは愛と憐れみから生まれます。それは自己への悲しみではなく、他者への、神に喜ばれる悲しみであり、人々や国家の霊的状態に対するとりなしとして現れる応答なのです。
例えば、誰かが教会に行くのをやめたとか、信仰に冷めたという知らせを聞くと、あなたの心が痛むのです。それは裁きの痛みではなく、祈りの痛みです。あなたは主の前に泣き、その人の回復を叫び求めるのです。主に感謝します!主は、このように嘆き、祈りの中で他者のために泣く者は、慰められると約束されました。
慰めは答えが現れる時、その人が回復され、人生が変わり、状況が一変するのを見た時に訪れます。とりなしは神の御心を動かすのです。祈りの中で言葉が止まり、涙が代わりに語る時があります。それは魂のための深い苦闘の一部です。重荷が強すぎて、深いため息ととりなしの涙(ローマ8:26)しか漏らせない瞬間があるのです。
そしてあなたが泣くとき、御霊の力が働き始めるのです。私はそれを何度も経験してきました。長年祈り続けてきた人々の名前を記したファイルがあります。その中には、今日では福音の奉仕者となり、教会の指導者となっている者もいます。態度が悪かった者もいれば、一貫性を欠いていた者もいました。事業や信仰において苦闘していた者もいました。私は彼らの名前を書き留め、涙でとりなしました。
しかし今日、彼らの変容を見て、私は喜び、慰められます。他者への深い思いやりであなたの心が震えるとき、あなたはまさに神の御心と一致するのです。あなたの執り成しは、この世における神の慰めと変革の通路となります。ですから、あなたの心を柔らかく保ってください。思いやりが祈りへとあなたを駆り立てますようにしましょう。
祈り
愛する父よ、失われた者、弱い者、迷える者たちのために、常に情熱と愛をもって執り成す、主の憐れみと共に鼓動する心を与えてくださり感謝します。私の祈りを通して、人生は変えられ、回復され、主の王国は大いなる勢いで前進します。祈りが聞き届けられる慰めと喜びを感謝します。イエスの御名によっていのりアーメン。
参照聖書
(エゼキエル 9:4) 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」
(イザヤ 66:10) エルサレムとともに喜べ。すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。すべてこれのために悲しむ者よ。これとともに喜び喜べ。
(詩篇 119:136) 私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです。



