2025年12月7日(日)
揺るがず、喜びを持って主に仕える
Serve The Lord Steadfastly And With Joy
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことをしっているのですから。」(1コリント15:58)
クリスチャンの人生は遊びではありません。それは真剣なものであり、霊的な原則に基づいています。私たちが実際に生きているのは霊的な歩みなのです。教会の携挙は今日、かつてないほど近づいています。ですから、毎日、純粋な心を奮い立たせ、自らを吟味し、クリスチャンとしての人生が御言葉にかなっていることを確かめなければなりません。
御言葉に集中し続けてください。聖書はこう言っています。「…これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。」(ヨシュア記1:7)御言葉があなたの思考と霊、思いと意見を支配するようにしてください。聖書はこう言っています。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)暗い路地を歩く時、あなたは道を照らすためにともしびを使います。それが御言葉です。それはあなたに命の道を示し、義の道に留まらせてくれます。
2テサロニケ2章3節は警告します。「…まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」そしてマタイ24章12節で主は言われました。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」だから、主への愛を熱く保ってください。あなたの霊的なものへの信仰と熱意を、何ものにも散らされてはいけません。
主を真に愛し、正しく仕える者と、そうでない者との間には違いが生じねばなりません。自らを顧みてください。心を見張ってください。あなたの霊を守ってください。愛のうちを歩んでください。主は、ヨハネ13章35節でこう言われたからです。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
クリスチャンの人生は旅路です。毎日が愛のうちに歩む新たな日なのです。毎日が喜びをもって主に仕える新鮮な日です。主が光の中におられるように、毎日が光の中を歩む新たな日なのです。(1ヨハネ1:7)毎日が義の実を結び、義のわざを現す新たな日です。だから、揺るがずに、主に喜びをもって仕えることで、毎日を意味あるものとしてください。
祈り
愛する父よ、主を知り、仕える栄誉と、主の御名によって呼ばれる特権と祝福に感謝します。私は揺るがず、熱心に、動じることなく、常に主の御業にあふれています。私が情熱と目的をもって喜びの心で主に仕えるほど、主への愛はますます深まります。私は終わりのこの時代に、主の栄光を現し、主の義を明らかにしながら、私はますます輝き続けます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヘブル12:1-2) こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
(ヘブル6:10-12) 神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。
(ガラテヤ6:9) 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。



