2025年11月30日(日)
矯正に従順になる
Yield To Correction
「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」(1サムエル記15:22-23)
サムエルがサウル王に語った言葉は、不従順の危険性に対する深い洞察を明らかにしています。サウルは預言者サムエルを通して神から明確な指示を受けていましたが、自らの行動を選択しました。するとサムエルは彼を戒め、こう言いました。「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」
従順がいけにえよりも優先されることに注目してください。神は、いかなる宗教的儀式よりも、御言葉を生き、御言葉を行うことにこそ関心を持たれるのです。さらにサムエルは、主の言われることを行わないことを占いと同列に置き、「背きは占いの罪に等しい」と言いました。これは驚くべき比較です。不従順は背きを生むのです。
サムエルは続けて言いました。「…従わないことは偶像礼拝の罪だ」 背きは持続すると頑なさに変わります。頑なさとは何でしょうか?それは戒めを受け入れることを拒むことです。神の助言や指示を無視して、自分の道を貫こうとする執着です。聖書はこれを偶像礼拝と同等と語っています。
なぜなら、そのような状態では、個人が自らを高め、自分を唯一の権威と見なすからです。神の言葉よりも自分の意見を尊ぶのです。それは自己崇拝であり、自己崇拝は偶像礼拝です。人が従わず自らの道を主張する時、そむきに入るのです。戒められてもなお改めないなら、それは頑なであるのです。そして神の御言葉によれば、頑なさは不義であり偶像礼拝です。だから聖霊の戒めや御言葉の教えを決して軽んじてはいけません。戒めを拒むことは、自らを偶像とすることです。しかし、御言葉に謙遜に従うことは知恵なのです。
祈り
愛する父よ、御言葉の明瞭さと力、そして御言葉が私の人生にもたらす変革に感謝します。私の心は常に柔らかく、御教えと導きに委ねられています。私は他のいかなる意見や好みよりも御声を尊び、御心に従って歩み、義の自由と喜びのうちに生きるのです。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(箴言29:1 NIV)多くの戒めを受けてもなお頑なな者は突然に滅びる。救いようがない。
(ヤコブ1:22)また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
(ヘブル12:9-11)さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
(箴言3:11)わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。



