2025年11月25日(火)
神の言葉は神である
God’s Word Is God
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)
神の言葉は、単に神が語られるものではありません。それは神ご自身なのです。神の言葉は、神の表れです。神の言葉を聞くとき、あなたは神の御声を聞いているのです。神の言葉を受け入れるとき、あなたは神を受け入れているのです。神は御言葉の中におられ、御言葉は神の中にあるのです。
多くの人はこの真理を完全には理解していません。彼らは神の言葉が神とは別物だと思い込んでいます。まるで誰かが何かを言って、それからその言葉から離れていくようなものです。しかし神においてはそうではありません。神の言葉は神ご自身の人格を帯びているのです。それは神の考えだけでなく、神の力、神の臨在、神の栄光、そして神の命をも表しているのです。
人の性格をどうやって知ることができるでしょうか?それはその人の言葉を通してです。言葉は人の本質を明らかにするのです。同様に、神は御言葉の中で御自身を現わされるのです。御言葉は神性を伝えます。神の命は御言葉の中にあるのです。だからこそ、御言葉を心に受け入れる時、単なる情報や教えを得るだけでなく、神ご自身を受け入れているのです。あなたは命の本質と交わっているのです
神の御言葉は創造し、癒し、変革し、そして救い出します。主イエスが「御言葉がと人なって現れた方」(ヨハネ1:14)と呼ばれるのも当然です。主は言われました、「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)主こそが生きる御言葉です。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)
御言葉が「それ(it)」ではなく「御方(Him)」と呼ばれていることに気づきましたか?それは人格を持つお方だからです。神の御言葉を聞き、受け入れるたびに、あなたは教義や教え以上のもの、すなわち神ご自身を受け入れているのです。ゆえに御言葉を尊んでください。御言葉を尊ぶことは、神を尊ぶことだからです。
祈り
愛する父よ、御言葉に宿る命と力と栄光に感謝します。御言葉が私の中にあって、その語ることを実現させるゆえに、私は同じ力と臨在と栄光を経験します。私は御言葉によって生き、絶え間ない変革と進歩と勝利を経験します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(ヨハネ 1:1-3,14 NIV)初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2 この方は初めに神とともにいた。3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらないものは一つもなかった。14ことばは肉となって、私たちのうちに宿られた。私たちは、その栄光を見た。それは、父から来られたひとり子である方の栄光であり、恵みと真理に満ちていた。
(ヘブル4:12-13)神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(1 テサロニケ2:13)こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。



