2025年11月16日(日)
王国、畑と種
The Kingdom, The Field, And The Seed
「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。」(マタイ13:24)
主イエスは、王国について驚くべき教えの中で、たとえ話を用いて深遠な真理を明らかにされました。その一例がマタイ13章の「麦と毒麦のたとえ」です。主はこう言われました。「天の王国は、畑に良い種を蒔いた人にたとえられる。」この「人」とは主ご自身であり、「良い種」は御国の子どもたちを象徴しています。主が後に説明されたように、「畑」とはこの世のことです。
これは驚くべきことです。主は良き種を、他人の畑ではなく、ご自身の畑に蒔かれたのです。これは、この世が主の畑であり、王国の一部であることを示しています。この世は主のものであり、今日私たちがこの世で何を見ようとも、いかに汚れているように見えても、その畑は依然としてイエスに属しているのです。
聖書は、人々が眠っている間に敵が来て畑に毒麦を蒔いたと記しています。毒麦とは悪しき者の子らです。主イエスは、この毒麦を蒔いた敵が悪魔であることを明確に説明されました。こうして私たちは、善と悪がなぜこの世で、さらには神の働きと結びついた場所でさえも並存(へいぞん)して活動しているのかを理解することができます。
30節で、同じたとえ話を説明しながら、主はこう言われました。「だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」この収穫とは世の終わりを指し、刈り取る者とは御使いたちです。定められた時に、毒麦は集められて焼かれ、しかし麦、すなわち義人は彼の倉に集められるのです。神に栄光をささげます!これはなんと慰め深いことでしょうか。
私たちは良き種で、王国の子たちであり、目的を持ってこの世という畑に植えられています。だからこそ、私たちはどこにいても大胆に立ち、「この世界は私たちのものだ」と宣言できるのです。なぜなら、この世界は私たちの主であり救い主、イエス・キリストに属し、私たちはその相続人だからです。私たちは主導権を握り、支配しているのです。私たちは輝き、義の実を結ぶためにここにいるのです。どんな反対や闇があろうとも、覚えておいてください。畑は主のものであり、主があなたをそこに植えたのです。ですから光として輝き、王として統治し、収穫をもたらしてください。ハレルヤ!
告白
私は光として輝き、義の実を結びます。私は闇の勢力を支配し打ち勝ちます。私はキリストの種だからです。主よ、この世代において私を栄光と影響力の器としてくださり、魂を勝ち取り、多くの人々を王国へ導かせてくださることを感謝します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(マタイ13:24-30, 38-40)イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」 …38畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
(1 コリント10:26)地とそれに満ちているものは、主のものだからです。



