2025年10月6日(月)
神の目的においてのパートナー
Partners In Divine Purpose
「 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(1コリント3:9)
霊的な成熟と神の知恵に歩む要素の一つは、魂の救いを含むあらゆる事において神の目的と一致することです。あなたが地上の神の計画において神のパートナー、すなわち共同労働者であることを認識することです。あなたがキリストの元に導かれたのは、単に罪の咎から逃れるためではなく、神聖な運命を成就し、他の人々を王国へ導くことに主と協力するためでした。
福音の奉仕者、キリストの奥義の管理者としての召命に目覚めてください。「 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました …」(2コリント3:5-6)1コリント4章1節から2節にはこう記されています。「こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。」和解の奉仕において実り豊かで生産的でありなさい。
マルコの福音書16章15節で、主は既にこう言われました。「…全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」ですから、「主よ、私に何をなさいますか?」と尋ねる必要はありません。命令は明確です。第2コリント人への手紙5:18はこう言います。「すべてのものは神から出たものです。神はイエス・キリストによって私たちをご自身と和解させ、和解の奉仕を私たちに与えてくださいました。」
王国の優先順位をもって行動してください。日々、魂を救い、王国の進展に資源を捧げてください。まだ主を知らない者たちのために熱心に執り成してください。主の情熱を受け取ってください。聖書はこう記しています。「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(2ペテロ 3:9)
第2コリント5章14節から15節にはこう記されています。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」 主のために生きるということは、神の目的のために生きることを意味します。それは、主の望みに合わせて鼓動する心、主の計画に仕える手、主の道に歩む足を意味するのです。
祈り
愛する父よ、私を主のぶどう畑で共に働く者としてくださり感謝します。私は、主の知恵に歩み、私の人生における主の目的を果たし、主のビジョンに調和し、主の召しに献身し、主の御心すべてにおいて実を結ぶ者となります。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(2コリント5:18-20) これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
(1コリント3:9 ) 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
(ヨハネ20:21) イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」