2025年9月20日(土)
神の御前に富む者となりなさい
Be Rich Toward God
「それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』」(ルカ12:16-17)
主イエスは、ルカ12章16節から21節において、富が増えるにつれ困難に直面したある金持ちの男の物語を語られました。彼は心の中で、「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。」と言いました。(ルカ12:17)彼の解決策は、倉庫を壊してより大きな倉庫を建て、財産を貯蔵することでした。富に自信を持った彼はこう言いました。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」(ルカ12:19)
しかし、神が彼の計画をさえぎり、彼に語りかけた瞬間、物語は急展開を遂げました。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカ12:20)金持ちが慎重に貯め込んだ富は、永遠の前では無意味なものとなったのです。
主イエスは次のように警告の言葉に結論付けました。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」 (ルカ 12:21) このたとえ話は、神や神の王国を無視して富を蓄える愚かさを警告しています。非難されているのは富の所有そのものではなく、神の目的から切り離された自己中心的な蓄積です。
一方、少ないものを持っていても、福音のために惜しみなく与え、神の御業を個人的な利益よりも優先する人々がいます。聖書はこのような自己犠牲を強調しています。(ルカ21:1-3)他方、たとえ話の中の金持ちのように、この世の移り変わるものにのみ投資する者もいます。彼らは自分自身の富を蓄え、口座や資産を拡大しますが、神の御業には無関心であるのです。彼らは神の御前に富んでいないのです。
自分自身に次のような重要な質問を投げかけてみてください。私は神の御前に富んでいるだろうか?あなたの持つ資源は神の目的と一致しているのか、それとも単なる個人的な快適さや安全のためだけなのだろうか?神富の御前に富むとは、神の王国を優先し、福音とその世界中の人々への影響を支えるために、惜しみなく喜びをもって与えることです。イエスは言われました。「しかし、まず神の王国と神の義を求めなさい…」(マタイ6:33)
使徒パウロは次のように教え諭しました。「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」 (1テモテ6:17-19) あなたの資源と努力が、神の御前に富んだ人生を反映するようにしましょう!
祈り
愛する父よ、御言葉の知恵と洞察に感謝します。私は、王国における御目的と一致して、私の資源を捧げます。永遠の意識を持って生き、福音に豊かに喜びをもって与え、主の栄光の為に、私の世界において永続的な影響を残します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(マタイ6:19-21) 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
(1テモテ6:17-19 NIV) 17 この世で富む者たちに、高慢になってはならないこと、また、不確かな富に希望を置くのではなく、私たちにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を置くように命じなさい。18 彼らに善を行ない、善行に富み、寛大で、分かち合うことに喜んで取り組むように命じなさい。19 このようにして、彼らは来たるべき時代のための堅固な基盤として、自分たち自身のために宝を蓄えることができる。そうすれば、彼らは真の命を握りしめることができる。
(ルカ12:16-21) それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」